「これは正確だ」というものを選びとれば映画は美しくなる

トラン・アン・ユン監督インタビュー
12月公開『ポトフ 美食家と料理人』驚異の映画術


Kyoko EndoKyoko Endo  / Dec 5, 2023

生前から美食家として知られ、死後も著書『美味礼賛』が絶版になったことはないブリア・サヴァラン。12月15日に公開される『ポトフ 美食家と料理人』はそのブリア・サヴァランがモデルとなった小説をもとに、名匠トラン・アン・ユン監督が料理を芸術的に高めあいながら深まっていくパートナーの関係性を描き、美食家のドダンをブノワ・マジメル、ドダンのアイディアを完成させる天才料理人ウージェニーをジュリエット・ビノシュが演じた。

おりしも第36回東京国際映画祭で監督が来日。その驚くべき映画術を聞いた。

美食家が集まるドダンの午餐会の噂は皇太子にも届いていた
©️Carole-Bethuel ©️2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

なぜガストロノミーだったのか

——グルメや美食学について、監督はもともと興味があったのでしょうか。 原作とはどのように出会ったんですか。

もう20年くらい前から食に関する映画が何かできないかと思って、いろんな本を読んでいたんです。その中にこの本がありました。日本を舞台にした女性の料理人の作品のアイデアもありましたが、プロデューサーが気に入ったのがこちらだったんです。

私の食育は母によるものです。私が子どもだったころ、家は労働者階級だったので家そのものに美しさはあまりなかったし、周囲の環境も美しくなかった。唯一「ここには美しさがあるな」と思ったのが母の台所でした。野菜、果物、まだ生きている魚や動物たちを母が市場で買ってきて料理してくれて、それがとてもおいしかった。幸運でした。母がとても素晴らしい料理人で、私の義理の母も素晴らしい料理人で、今回の作品に参加してくれている私の妻もやっぱりとても料理上手なんです。

——なぜ食の中でもオートガストロノミー(特に高級なガストロノミー料理)に興味を持たれたのでしょうか。なぜブリア・サヴァランをモデルにした小説をベースにされたのでしょうか。

ガストロノミーの描写があった数ページからインスピレーションを受けたんです。人物についても、食についても語られているんです。でも、ストーリー自体はあまり好きではなかったので、ストーリーが始まる前日譚を考えて脚本にしました。私にとっては食べ物はアートなんです。監督としては芸術を映像化したい気持ちがとても強いです。食は本物を映像化することができます。食は嘘ではない。例えばヴァン・ゴッホなど画家を題材にするとすれば、どうしてもそこには嘘が入ってしまいますが、食の場合はまさにオーセンティックな本物なんです。

——料理という芸術、映画も芸術ですよね。映画と料理という二つの芸術の共通点と違いを教えてください。

料理と映画はかなり異なる言語ですが、農作物を“育てて料理してマーケットに出す”ことは映画のプロセスと似ていると思います。調理する前に素材は大地から取ってきますよね。準備の前の段階があります。映画もそうで、私は脚本も書いていますが、土地を耕すように種をまいて脚本を作り上げていく。そして、撮影となれば現場にスタッフやキャストが集まって収穫する。収穫したものをポストプロダクションで、どうオーガナイズしようか、どういうふうにすれば売れるだろうと考える。

また、芸術とは変容です。素材のまま差し出すのではなく少し加工するのが芸術で、素材を新しい表現で作り上げますよね。料理も同じで、肉や野菜などシンプルな素材を料理に変容させる作業がある。そしてそれが一つの表現になる。映画もそうですよね。人間の経験をどのように映像化して、観客に見てもらえるようにするか。料理と映画は、言語は違うけれども、どちらも素材を変容させる表現方法なんです。

——21世紀の今、私たちはファストフードとレトルト食品に囲まれていますけれども、この映画ではセルリアックを掘り出すなど菜園の場面から映画が始まって、主人公が素材を大事にした料理作りをしていることが描写されていますよね。料理界は今も盛り上がってますが、19世紀末のフランス料理人を主人公にしたのは、やはり農業を基本とするフランス料理の伝統を意識なさったということなんでしょうか?

もちろんです。私は家ではビオ、有機農法の食品を食べています。有機農業で作られたものは身体にいいし、大地もその土の下の水も汚染しません。有機農業はとても重要です。だからこそ、私は最初のショットを野菜がまだ大地に根ざしているところから撮りました。野菜はスーパーで売られている商品ではなくて大地から来ているものなんだということを見せたかったんです。見慣れなかったかもしれませんが(作品中の)野菜畑に亜鉛と銅のアンテナが立っていますが、あれはフランスの僧侶が発明したものなんです。数世紀も前のまだ化学肥料がなかったころ、もっと自然な形で農業が行われていたことを見せたかったんです。

——先ほど食に嘘はないとおっしゃられました。最近、バーチャルが流行っていますが、食物はバーチャルになりえないものだと感じられます。そのあたりのことも監督はお考えだったのでしょうか?

テレビ番組やコマーシャルでは、美しくするために料理のまがい物やフェイクを作ることもありますが、今回の私の作品はそうではなかったんです。すべて本物でした。技術スタッフもみんな、本物の料理を使うのは初体験だったようです。しかも一日の撮影が終わると、みんなそれを食べられる。スタッフも持って帰って家で食べていましたね。フードロスは一切出さないのが私のポリシーなんです。

忙しそうな足音やワインが鍋に注ぎ込まれる音でも料理を表現
©️Stéphanie Branchu ©️2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

作品を構築した映画術

——音楽は最後にしか使われていませんが、すべての音が素晴らしかったです。

確かに音にはとてもこだわりがあります。私はどちらかというと映像の編集にあまり時間をかけないんです。音の編集にたっぷりと時間をかけたいので映像はスピーディに編集し、音の編集にすごく時間をかけます。 ポストプロダクションでサウンドはとても重要です。映像それぞれに意味があり、それぞれの美しさがありますが、音が変わることにでさらに映像が磨かれます。映像に深さが加わるんです。私は今回いろいろな台所の音を録っていますが、音に存在感があるので音楽は必要ない。それで最後にしか音楽を使いませんでした。

——料理だけじゃなく、台所で働く忙しそうな足音でどれほどウージェニーたちが夢中で料理しているか分かりますし、梨のコンポートを包んだフィロが開けられる音も印象的でした。一方、ドダンが不安を感じると蠅の音が大きく聞こえたりします。音を一体どのように録音されたんでしょうか。つまり、同時録音だったのか…。

確かに同時録音はしていますが、同時録音はパイロットサウンドで、それをもとにフォーリーアーティストと新しい音を作りだしました。それはとても大事な作業で、音響効果の創作の過程には私はすべて付き合います。 フォーリーアーティストが作ってくれた音をもうちょっとウェットな感じとか、もうちょっとドライに、もうちょっとこうしてああしてと、ずっと指示するんです。そうやって自分が望んでいる音がついた映像は、とても生き生きしてくるんです。

——大変な作業ですね…。

大変です。でも大好きな作業です(微笑む)。

ウージェニーのためにドダンは梨を火傷しそうに熱いフィロで包んだ
©️2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

体調の悪いウージェニーにブイヨンを作るドダン
©️Stéphanie Branchu ©️2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

——音楽や音、情報が溢れすぎていて理解する時間が足りなくて、音を聞いてもそれがただ通り抜けてしまって消化できていない人も多いと思います。そうした状況下でやはりこの映画の意味深さが感じられます。

その通りですね。時間についてはとても意識しています。私は観客にも時間というものを感じ取ってもらいたかったし、同時にドダンやウージェニーが時間をかけて音を聞いている状況を作り出したかったんです。 料理は時間を大切にする恰好の状況なんですよ。料理をしているときは、例えば料理がゆっくり加熱されて黄金色になるのを待たなければならない、料理にとって時間はとても貴重なものなんです。しかもそれが正確で適切でなければならない。料理を作るときのリアルな時間の流れを皆さんに感じ取ってもらいたかったので、今回はワンシーンワンカットを多用しています。ワンシーンワンカットの長回しには、私が大好きな巨匠、溝口(健二)監督から影響を受けています。

——冒頭のシークエンスには引き込まれました。あのシーンで撮影のチャレンジになったのはどんなことでしたか。

確かにあの最初の長いシーンは一番の挑戦、最高の挑戦だったと考えています。これまで見たことのない形で料理を作っているプロセスを見せたいと強烈に思っていたんです。確かに大変でしたが、次世代の監督に「こういうことができるんだ!」と思ってもらえたらいいんじゃないかと思いました。

調理場で料理人である俳優たちが動く動線は非常に複雑です。映画ですから、ちょっとしたコレオグラフィー(振り付け)ですね。どういうふうにカメラが動くかも複雑で、スプーンはとても自然な形でそこにあって、役者が料理人のようにそのスプーンを掴めるか、いろんな動きをすべて連携させなければいけない。ほかの作品で料理の場面というと、だいたい登場人物が料理を作りながら喋っているとか、そういう形でしか登場しません。ですが、私は本当に料理人たちが黙々とその手を使って作っている、その姿を見せたかったんです。しかも、あちこち動きながら。だから難しかったです。

——監督の作品といえば、俳優の手の置き方にまで気を配られた完璧な絵作りで有名ですよね。でも、料理を美味しそうに見えるタイミングで撮影するのも大変なことで、それこそフェイクの話が出ましたが、コマーシャル撮影では油を塗ったりもしますよね。でも今回は本物を作られたと、監督の絵作りと料理のタイミングを合わせるのに、具体的にはどのようなご苦労があったんでしょうか?

あえて美しい映像や仕草を撮ろうと目指しているわけじゃないんです。一番大事なのは、僕自身が「これは的確だ。これこそまさにふさわしい」という仕草や動作を掴み取ることです。自分にとってこれが一番的確だと、俳優が自由に動いていて、その中でこれだというものを見つけ出す作業です。僕自身は手の動きとかそういうものを選んでいるわけではなく、かなりスピーディーに撮ります。その代わり「これは正確だ」というものだけを選び取っていくと美しくなるんです。

ですから、今回の作品の中で最初の長いワンカットワンシーンのシーンは多少準備しましたが、ほかの料理の場面はこの一皿を作ろうとリハーサルしたわけではなくて、特に準備せず、どちらかというと即興で撮りました。

夫人との関係からも着想

——美術監督で衣装デザイナーでもある奥様のイエン・ケーさんにこの映画が捧げられているのは、ドダンとウージェニーのようなチームとして、もっと映画を撮っていこうというメッセージなんでしょうか?

その通りです。この映画のドダンとウージェニーの関係は、私たちの暮らしや関係性からかなり着想を得ているんです。この歳になるともう情熱とかそういうもので愛し合っているわけじゃないですよね。今回はもっと穏やかな夫婦愛というものを描きたいと思ったんです。とても調和のとれた夫婦愛です。まあ実際には喧嘩したりもしますけれども、私と彼女の夫婦関係は今回の作品にとてもたくさんのインスピレーションを与えてくれました。

——最後に、監督と奥様の得意料理を教えていただきたいのですが。

(微笑む)妻の料理は特に一つあげられないぐらい、いろんな種類の多種多様な料理を食べているんですけれど、僕自身がよくつくるのはパスタ料理ですね。イタリアの小説家のアントニオ・タブッキに教えてもらったボッタルガのパスタは家族みんな大好きだと言ってくれます。

——ガーリックソースのパスタですよね。

そうです。時間があったらレシピを教えてあげたいんだけどね。

『ポトフ 美食家と料理人』
12月15日(金)Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督:トラン・アン・ユン
脚本・脚色:トラン・アン・ユン
出演:ジュリエット・ビノシュ、ブノワ・マジメル
料理監修:ピエール・ガニェール
配給:ギャガ

原題:La Passion de Dodin Bouffant / 2023 / 136 分 / フランス / ビスタ / 5.1ch デジタル / 字幕翻訳:古田由紀子
©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT – FRANCE 2 CINEMA

WEB gaga.ne.jp/pot-au-feu
X(Twitter)@Pot_au_Feu_121

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