鳥飼茜 特別エッセイ 【RiCE14号寄稿】

終わりかけの世界で隣人を愛するということは。


RiCE.pressRiCE.press  / Apr 26, 2020

食事や消費について語るのが嫌いだ。
つまり「くらし」について語るのが、弱点と言ってもいいほどに苦手だ。
理由はひとつ。自分は決して「丁寧」に「くらし」てはいないという自覚があるからである。
現代社会人たるもの、モノがあふれるこの世界において何を食べるか、何を身につけるか、そういうひとつひとつの選択にも社会的哲学が無いよりはあった方がいい。あらゆる消費活動はサステイナビリティやらエシカルやらフェアトレードやらグラスフェッドなどなど、私が最近になって人から聞き齧ったニューワードが示す環境への配慮のもとに行うのが意識高い人、つまり成熟度の高い人間とおそらくは見なされているのだ。多分そんな気がするからそうでない生活を続けて来た自分は生活を語る資格がないと感じる。ごめんなさい、コンビニやファストフードのデリバリーで毎日の食事済ませちゃってます。ごめんなさい、最近までレジ袋毎回もらってました。雑に生きてて地球にごめんなさい、と謝るしかないのである。ここにこの、エシカルやサステイナビリティなど、誰がどう聞いても文句のつけようがない正論を理想じゃなく現実にしていく時の難しさがひとつあるように思う。正しさを纏うものごとには萎縮してしまう人がいる。私のように、理想論に萎縮しているだけでなく軽い反撥を感じる人間は残念ながら一定数いるものだ。これまで私たちが散々見てきたフェミニズム論争でも似たような価値の対立があったと思う。
サステイナビリティやエシカルを提唱している人たちにとっては、100%正しいことを言っているのだから皆心入れ替えて行動すればいいだけの事なのだ、それで世界が良くなるのになぜプラスチックを消費するのだ、と相当歯痒いことだろう。私のような人を意識低い、価値観ダサめ、と単に捨て置いては行けない問題だから大変だ。

こうして私が自らの生活からやや距離のあるエシカル思想について書いている2020年3月末の現在、世界は大変なことになってしまっている。未知のウィルスが猛威をふるい、盤石だと思われた大都市は続々と増えていく感染者、死者の数に慄いて次々と封鎖されその機能を失っていく。こうして文章化するとさらにSF味が増していくほどに現実感のない大悲劇が世界的に同時進行中で、もちろん日本もその脅威に曝され続けている。二ヶ月ほど前に始まり出したこの惨状は大方の予測を裏切って延長戦を続けている。終わりが見えない戦いに全世界の人が摩耗し続けている。こんな世界になるなんて予想もしなかった。
連日、毎時世界のあらゆる場所で医療が病気に追いつかない様子が放送されていて、果たして日本に住む私たちがこれほどまでに他の国で起きている惨劇を明日、いや今夜は我が事と見なし問題に向き合わざるを得ない状況がこれまであっただろうか。

エシカル、つまり環境保全や社会への配慮とその背景にあるサステイナビリティ、つまり持続可能性について私たちが語る時必ず触れられるのは国連の提唱するSDGsだろう。昨今よく聞くこのSDGsという名のもとに世界共通目標として掲げられた「貧困や飢餓をなくす」、「全ての人に健康と福祉を」などの項目でほとんどの人がイメージするのは発展途上国の貧しさだ。インフラの整った都会で暮らす私たちが恵まれない人たちに手を差し伸べる活動だというイメージである。

しかし現実はどうだろう。世界中のどの国も特効薬のないたったひとつの疫病に広く侵され、高度成長期以降続いてきた安心安全な都会暮らしはもはや持続不可能性を帯びて来ている。多くの人が差し迫った危機とすでに危機の渦中にある隣国へ強く共感し、そこからより多くを我が事として全力で学び生かそうと、世界へ目と耳をギンと張っている。
私たちのここまでの社会貢献には、見えない困窮を救うという慈善的な側面が大きかったと思う。それは有意義で立派な活動ではあったが、幸せな夢の中の錯覚でもあったのだ。
人やモノはあらゆる土地を往来するようになった。病原菌もしかりで、日々拡大される悲劇を前に慌てて国境や県境、それぞれの家の扉をただ閉じるしか方法が見当たらないでいる私たちだが、もともとこの世界では同じ地球に住む限り、ある箇所で起こった事象は確実に自分たちの足元まで到達する。それを比喩ではなく身体を賭けて知らされることとなった。

▲ 鳥飼茜さん最新作『サターンリターン』第3巻は4月27日発売です

ここまでの惨状を前にしても家の扉を閉じない人は確実にいるだろう。
汚れ切ってしまった海を前にしても、使い果たす寸前のエネルギー残量を目にしても、今までの生活への制限を嫌って行動を変えたがらない人は確実に一定割合いる。社会的活動を偽善と見なす悪態であったり、あるいは正義も自堕落も等しく人間のエゴとして、人間の終焉を当然の帰結として運命を受け入れるというシニカルな姿勢でもあるかもしれない。反対側にいる人からは反対側の人が理解できないだろうし、それぞれは対立するだろう。その中で人間は次の一手を選択し続けなければならない。思想や文化の形を次々と変え、反対勢力を説得したり置いて行ったりしながら数を増やすゲームのように、淘汰し淘汰されてこの地球の上で命を繋ぐという人類のありようが、つい3ヶ月前と比べると鮮烈に浮かび上がってしまった。
人と人はどうしようもなく繋がってしまっている。理想と違う行動を選択する人を繋がりから排除しても意味がない。
自分勝手を許さない、ではどうにもならないほどの本物の焦りと共感が皆に試されていて、その共感を持たない人を確実に包含して、多様性というものは成り立っている。エシカルの意味する道徳的、道義的とは何かを本来的に考えなければいけない局面とも言える。自分の行動が知らない人の命に差し障るという状況で、単に今までの日本的同調で人に迷惑かけなければいいのか、どこまで外の人を自分のことのように考えるか、海外と自国の方針のどれを自分の行動指針にするのか、誰のために行動するのか? 家族と同居していない多くの人からすれば、「大切な人のために行動を」といわれてもピンとこないことうけあいであろう。

もし私たちが幸運にも数ヶ月前の都市生活を取り戻せたなら、それは世界規模での大きな舵取りの機会でもあるだろう。この2020年以降、国は普段通りの同調や理屈や経験だけでは選べない判断を良くも悪くも迫られ続けるだろう。希望を言うならこの件を機に、世界中が柔軟性を獲得していて欲しい。都合や既得物で固められた頭と価値観をほぐして欲しい。簡単に言うならば前より自由で生きやすい世界になって欲しい。それに相当する代償を現状みんなが負担している。

その上で、冒頭で述べたような、環境に配慮したくらし自体はやはり正しいと私も思う。正義の弊害はさておき、目的達成するなら雑なくらしに丁寧をさっさと勝手に混ぜていくと良いと思う。コンビニでエシカル商品ばかり売ればいい。ファミレスやファストフードがエシカルな営業に振り切ればいい。たとえばマクドナルドがこのような取り組みを既に始めているのはとても合理的で話が早い。
雑に暮らしてる人は、先に書いたような哲学があって雑を選んでいるわけではなく提供されるものを、選びやすい棚にあるものを手に取っているだけだ。私の偏見で言わせて貰えば、易きに流れる理由をしっかり持っているだけのことである。
自粛した街で店が開いてなければ外に出ないのと同じで、箸がついて来ないなら家で用意するか最悪手で食べるだけのことだ(しかも食べる前に手を洗うことはすでに身に付いたはずだ)。上流から流れてくる餌が完全無農薬に切り替わっても気づかず、多少むせながらも素直に飲み込むだけだと思う。

自分の頭と心で他者のことを考えられる賢い人は、私が語る前に行動を起こしているはずだ。私の語っているのは、この本をたぶん手に取らないであろう人たちとあなたが、いかに分断せず今後も共存していくか、と言う話である。

鳥飼茜
1981年、大阪府出身。漫画家。代表作に『先生の白い嘘』、『地獄のガールフレンド』、『ロマンス暴風域』など。漫画以外の単著に日記『漫画みたいな恋ください』がある。ビッグコミックスピリッツ連載中の『サターンリターン』3巻が4月27日に発売予定。

当記事は、RiCE No.14「エシカルフード・カタログ」収録ページをWEBサイト用に再編集しています。
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