連載 「ポーランド・ダイアリーズ」#4

古都クラクフに漂う、市民の意思・文化の季節。


Shunpei NaritaShunpei Narita  / Mar 28, 2026

せっかくポーランドを訪ねるなら、首都ワルシャワだけではなくクラクフまで足を伸ばしてほしい。ポーランドを代表する古都であり、「ワルシャワが東京なら、クラクフは京都だね」なんて言われることもある。特急電車で約2.5時間という距離感も、確かに日本のそれに近い。

旧市街全体が世界遺産に認定されているだけあり、街並みの美しさは半端じゃない。コンパクトな距離感の都市空間に中世・ゴシック・ルネサンス・バロック・アールヌーヴォーまで…さまざまな建築様式の建物が混在していて、まるで街全体が歴史資料だ。ぼんやり歩いていたとしても、足を止めて凝視してしまう瞬間がたくさんあるだろう。

14世紀に設立された聖マリア教会。ポーランドのゴシック建築物の代表的存在である。息を呑むような精緻な仕事に、思わずうっとり。

歴史のレイヤーが複雑に重なるまちの宿命だと思うが、街を歩くとポーランドという国が歩んできた道のり、その断片みたいなものに必ずぶつかる。例えばスピルバーグ監督作品『シンドラーのリスト』撮影地である旧ユダヤ人地区、カジミエシュ。

第二次世界大戦中、1100人以上のポーランド系ユダヤ人の強制収容所送りを救った実業家を描いた『シンドラーのリスト』。アカデミー賞7部門を受賞した傑作は、主にこの周辺で撮影された。

現在はいい飲食店が集まるエリアだが、戦前は第二のエルサレムの異名をとったことでも知られる。決して繰り返してはならない過去を伝える掲示物がところどころにあり、それらを読めば街の歩みを知ることができる。でももっと直感的に歴史のうねりを感じる場所があちこちにあって、それが普通の飲食店だったりする。



たとえばここ[HEVRE]ならば、もとはユダヤ教の祈祷所・シナゴーグとして建てられた空間だ。社会主義時代には倉庫として使われ、廃墟のような時期もあったようだが、現在はすっかり繁盛店に。自由な人の往来がある。


とはいえ綺麗さっぱり歴史が上書きされているわけではない。よくみるとシナゴーグ時代の美しい壁画やヘブライ語の装飾、アーチ構造はそのままだ。この街で起きた出来事を記憶し語る装置になっている。それが博物館でも文化施設でもなく、日常的に人が集まり、飲み語る “飲食店” にあること。体制が大きく変わり、生活がガラッと変わるような体験をしてきた国だからこそ、暮らしの中に歴史を留めようとする市民の意思が表出している。

このエリアで食事をするならばぜひ「NOAH」へ。ノアの箱舟を想起させる店名は、場所柄ユダヤ料理を連想させるがそうではない。洗練されたモダンな中近東料理が楽しめる名店だ。90%がポーランドの食材だといい、オリエンタルな調味、味がバチっと決まっていた。

忘れてはいけない、大事なことを受け継ぐ場所があることの意味は、クラクフ市内の別の飲食店でも感じた。旧市街の大きな広場沿い、まさにクラクフの心臓部といえる場所にある[Piwnica pod Baranami]である。

地下にあるその店は階段を降りていくと一瞬ダークな雰囲気があるけれど、ドアを開けたら予想を裏切るような広い空間が広がっていた。みんなが隣国チェコの国民的ビール・ピルスナーウルケルで乾杯している。少しアカデミックな空気と名酒場の匂いが同居しているが、それ以上の意味と歴史を背負っている場所である。

もとはといえばキャバレーだった。とはいえ日本でいうところのそれ、お姉ちゃんたちがひらひら踊るような場所ではない。クラクフ中のアーティストたちが集い、演劇やジャズを披露しあう文化施設。日本で例えるならなんだろう、新宿で寺山修司や唐十郎が凌ぎを削りながらアングラ演劇をしていた場所だろうか。店内の至る所に沈着した傷や染みがあり、人々の確かな心の動きを、まるで勲章のように語っている。

ちょうど今回の旅のコーディネーション&通訳を担当していただいた小見アンナさんが、まさにこの店に高校時代に通っていたといい、貴重なエピソードを話してくれた。

「わたしはワルシャワに住んでいたんだけれど、電車で5〜6時間かけてわざわざここに来ていたの。社会主義時代、制限だらけの学生生活の中で、ここが唯一“自由”を感じられる場所だったから。夜に街へ着いて、ここで朝まで過ごす。学生でお金がないからそれでもなんとか居させてほしくて、よく手伝いもしたわ。演劇の上映中に舞台美術の一部を持つ係なんかもしてね。本当に一流のアーティストがたくさんいて、そのエネルギーの渦に触れられた。政権を風刺する内容も多かったけれど、直接批判はできない時代、逆手に取るのよ。例えば、嘘みたいに政権を褒めちぎる。誰もが皮肉だってわかるけど、表面上は褒めているから政府批判にはならない。そんなユーモアや機転に胸を熱くしたのよ」

激動の時代に青春を過ごした彼女の話を聞くと、その思い出の場所が姿形を変えずに残っていることに思わず心を揺さぶられる。ここで情熱を燃やしたアーティストたちは、どんな想いで表現に没頭していたのか。もちろん想像することしかできない。でも実際にその空間に身を置き、音や空気に酔いしれながらその当時に意識を飛ばすこと。それがどれほど貴重なことか。想いを馳せることすらできず消えていった場所も、きっと数えきれないほどあるから。

この建物に隣接して、ポーランドのナチュラルワインが充実したワインショップ[Dzikie Wino Wine Bar]やミニシアターもある。もしポーランドに住んでたらきっとこんな場所でいい時間を過ごすのだろう。

クラクフを歩いているとショットバー巡りも楽しい。ラフな感覚の店で、隣のおじさんたちが楽しそうにポーランド語で会話しているのを横目に一杯二杯と重ねていく。内容はもちろん理解できないし、ファインダイニングのような親切丁寧サービスもない。でも馴染みがない土地で異邦人として放っておかれるのが妙に心地いいのだ。

ふらり入ったこの店では9ズウォティ(この時のレートで約380円)からズブロッカを一杯やれた。誰しもを受け入れてくれる優しい夜がクラクフにもちゃんとあって、ポーランドで浴び続けた様々な刺激に伴う高揚からクールダウンするのにはこれ以上ない場所だった。

京都に喩えられるクラクフだが、そういえば京都のような街でも、格式高い店でかしこまるより、立ち飲みでタバコまみれになりながら飲むビールの方が好きだった。宴が終わってビジネスホテルへ辿り着いた時、ファブリーズ的なもので匂いを消すのだが、飲みすぎるとそれすら忘れて布団に倒れ込んでしまう。だから次の日の洋服がじゃっかん煙たい。正直決していい匂いじゃない。でもどこかこの街に染まれた気がして何故か嬉しい。それと全く同じような感覚で、この夜も気がつけば街に馴染んで、受け入れられた気がして、いつぞやの京都の夜みたいに酔いつぶれていく。

旅に出る前、「ポーランドに何しに行くの?」と聞かれたときは正直うまく答えられなかった。今でもポーランドという国を一言で言い切ることはできない。しかし遠い未知の国だと思っていたはずなのに、身を置いているうちに自分の中のよく知っている夜と地続きの場所になっている。優しく受け入れてくれたこの国よ、また必ずや。

Photo by Yayoi Arimoto(写真 在本彌生)
Translation & Coordination by Anna Omi(通訳・コーディネート 小見アンナ)
Cooperation by Poland Travel(協力 ポーランド政府観光局)

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