連載「タコスの居場所つくり」#3

とうもろこしが、主食になる日


Marco GarciaMarco Garcia  / Mar 11, 2026

ある古代の技術が、日本の食卓を変えるかもしれない

夏になると、祭りの屋台でとうもろこしが並ぶ。醤油を塗って香ばしく焼いたもの、バターをたっぷりのせたもの。日本人にとって、とうもろこしは「夏の味」であり、野菜であり、おやつだ。主食だと思っている人は、まずいない。

でも、本当にそうだろうか。

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小麦のことを考えてみてほしい。かつて日本は米の国だった。米と麦、そして粟や稗が食卓の中心にあった時代、小麦は遠い異国の穀物に過ぎなかった。それが今日では、ラーメンがあり、うどんがあり、食パンがあり、クロワッサンがある。小麦が日本に根を下ろすことで、まったく新しい食の世界が開いた。日本はその穀物を受け取り、自分たちのものにした。

ただし、その道は平坦ではなかった。

パン用の小麦——グルテンを十分に含んだ硬質小麦——を日本の土地で育てることは、長い間、難しかった。日本の気候と土壌は、もともと柔らかい小麦に向いていた。うどんや素麺には申し分ない。でも、ふっくらと膨らむパンには、別の小麦が必要だった。戦後の日本は長い間、アメリカやカナダから輸入した小麦でパンを焼いてきた。それが変わったのは、北海道の農業研究者たちが何十年もかけて品種改良を重ねた結果だ。「ゆめちから」に代表される国産強力粉が生まれ、今では北海道産小麦を誇りとする日本のパン職人が少なくない。

種を蒔いてから、収穫まで。それだけの時間がかかった。

今、とうもろこしで、同じことが始まろうとしている。私たちの仲間を通じて、マサ用のとうもろこし栽培を試みている農家と、少しずつ繋がってきた。成功している人はまだ少ない。当然だ。土壌を理解し、品種を選び、気候に合わせていく作業は、一年や二年で答えの出るものではない。でも、その実験が、確かに始まっている。

とうもろこしも、同じ道をたどれるはずだ。いや、それ以上の可能性を秘めていると、私は思っている。

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鍵は、「ニクスタマリサシオン」と呼ばれる古代メソアメリカの技術にある。

工程そのものは、驚くほど単純だ。乾燥させたとうもろこしの粒を、消石灰(水酸化カルシウム)を溶かしたアルカリ性の水に浸し、ゆっくりと加熱する。数時間から一晩かけて、粒は柔らかく膨らみ、外皮が自然にはがれ落ちる。水で丁寧に洗い流せば、「ニクスタマル」と呼ばれる、まったく新しい素材が生まれる。これを挽いて練り上げたものが 「マサ」—— メキシコ料理の、すべての出発点だ。

 

水で丁寧に洗い流されたとき、まったく新しい素材が生まれる。これがニクスタマルだ。

この作業を数千年前に発見したメソアメリカの人々は、おそらく栄養学を知らなかった。それでも、この工程がとうもろこしを根本から変えることを、経験の中で知っていた。石灰のアルカリが、とうもろこしに閉じ込められたナイアシン(ビタミンB3)を解放する。タンパク質の質が高まり、消化吸収率が上がり、風味に深みが生まれる。ニクスタマリサ シオンを経ないとうもろこしと、経たとうもろこしは、同じ名前を持つ、まるで別の食べ物だ。

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ただし、ここで一つ、大切なことを伝えておきたい。

ニクスタマリサシオンに使うとうもろこしは、日本の夏祭りで食べるとうもろこしとは、まったくの別物だ。日本で広く栽培されているのは、 甘みを極限まで高めた品種——糖度と瑞々しさのために改良されたもの ——だ。それはそれで、一つの完成形だ。でも、マサを作るには向いていない。

違いは品種だけではない。収穫のタイミングも、根本的に異なる。日本でとうもろこしといえば、旬の短い夏に、できるだけ若いうちに収穫し、すぐに食べるものだ。一方、マサ用のとうもろこしは、茎の上で完全に熟させ、乾燥させてから収穫する。皮を剥いても、そこにあるのは瑞々しい粒ではなく、硬く締まった、乾いた粒だ。鮮度が命の食材とは、正反対の方向にある。同じ「とうもろこし」という名前を持ちながら、収穫の哲学がまるで違う。

もし日本の甘いとうもろこしでニクスタマリサシオンを試みたとしたら、それはじゃがいもで作るべき料理を、さつまいもで作ろうとするようなものだ。形は似ていても、甘みと水分が邪魔をして、求める結果にはたどり着けない。素材の性質が、根本的に違う。

ニクスタマリサシオンに適しているのは、完熟させて乾燥させた、でんぷん質の豊かなとうもろこしだ。北海道でも、この種のとうもろこしを使ってトルティーヤを作る試みが始まっている。

ここで一つ、大切な区別をしておきたい。
北海道で飼料用とうもろこしの国内生産に取り組む農家たちの仕事は、真剣に受け止めるべきものだ。日本はこれまで、家畜の飼料を輸入に頼りすぎてきた。それを国内で賄おうとする試みは、食料安全保障の観点からも、農業の未来を考える上でも、重要な一歩だ。その努力に異論はない。
問題は、その飼料用とうもろこしを使って作られたトルティーヤやマサが、あたかもとうもろこしの食文化の可能性を示すものであるかのように語られるとき、だ。それはマサの可能性を探っているのではなく、マサの見た目を借りているに過ぎない。均一で、効率的で、スケールする。でも、その先にあるのは、工業的なマサの世界——メキシコの多くのスーパーマーケットで売られている袋入りのマサ粉と、同じ方向性だ。それをとうもろこしの未来と呼ぶには、あまりにも手前で止まっている。​​​​​​​​​​​​​​​​

私が思い描いているのは、別の道だ。

メキシコだけで、在来種のとうもろこし——数千年をかけて各地の土地と気候に適応してきた品種——は約90種類存在する。白、黄、赤、紫、 黒、青。色も質感も風味も、それぞれ異なる。同じ色の中にも、さらに細かな品種の違いがある。ちょうど、りんごを想像してほしい。「赤いりんご」と一口に言っても、ふじとこうとくでは、甘みも酸味も歯ごたえもまるで違う。とうもろこしも同じだ。それぞれの在来種が、それぞ れ異なる食感と風味を、マサを通じて表現する。

メキシコの小規模な家族農家が、代々受け継いできた品種。その多様性は、まだ始まりに過ぎない。

この考え方は、日本の自然酒や単一農家の米を大切にする動き、あるいは世界的に広がる小ロット生産の食材へのまなざしと、根を同じくしていると思う。品種と産地にこだわること。それが、とうもろこしにおいても、出発点になる。

私のレストランでは、青、赤、紫といった在来種のとうもろこしを使っ ている。いずれも、メキシコの小規模な家族農家が、代々受け継いできた品種だ。色が美しいだけではない。ポリフェノールを豊富に含み、栄養価という点でも、白や黄の品種を大きく上回る。この方向性は、私が日本で取り組みを始めるずっと前、2010年にメキシコですでに始まっていた。在来種を守り、小ロットで育て、丁寧に加工する——その積み重ねが、今、世界各地で静かに共鳴している。

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マサは、小麦粉の生地と同じだけの懐の深さを持っている。厚さを変えれば、食感が変わる。薄く伸ばして焼けばトルティーヤになり、厚めに仕上げればゴルディータ——長野の「おやき」に少し似た、もちっとした食感の焼きもの——になる。揚げれば硬くてサクサクのトスターダになり、蒸してトウモロコシの皮に包めばタマレスになる。笹ちまきとどこか親戚のような、素朴で温かい存在だ。

そして、それぞれの食感が、それぞれの食材と自然に会話する。

硬いトスターダは、生の食材との相性がいい。冷たく、繊細なものを乗せるための、安定した土台になる。一方、温かいトルティーヤは、火を通した肉や野菜をやさしく包む。食感と温度が、自然と呼応する。私のレストランでは、旬の日本野菜や魚介をマサと組み合わせて提供しているが、試しに角煮やコロッケをトルティーヤに包んでみてほしい。これはメキシコ料理の「逸脱」ではなく、マサというプラットフォームの、 ごく自然な拡張だと思っている。

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栄養の話も、きちんと伝えておきたい。

ニクスタマリサシオンを経たとうもろこしは、血糖値の上昇が穏やかだ。白米や小麦粉のパンと比べて、グリセミック指数(GI値)が低い。 食後の血糖値スパイクが気になる人にとって、これは小さくない違い だ。同じ炭水化物でも、体への届き方が異なる。

そして、青、赤、紫といった在来種のとうもろこしには、アントシアニンが豊富に含まれている。あの深い紫の色素だ。紫芋やブルーベリーに含まれるものと同じ種類のポリフェノールで、抗酸化作用を持つことが知られている。その健康への影響については、研究が現在も進んでいる段階だ。ただ一つ確かなことがある——色は、ただの見た目ではない。 栄養の地図だ。

これ、野菜ではない。

一つだけ補足しておきたい。市販のマサ製品——袋入りの粉や既製品の トルティーヤ——の中には、在来種のとうもろこしを使っているものもある。それ自体は、悪いことではない。ただ、工業的な加工の過程で、どうしても失われるものがある。できたてのマサと、粉から作ったマサの違いは、生のトマトから作ったソースと、缶詰のトマトソースの違いに少し似ている。どちらも「トマトソース」だ。でも、口に入れた瞬間に、何かが違う。

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米は「どんぶり」という形で、その懐の深さを証明した。白米の上には、何でも乗る。カツ丼も、海鮮丼も、インドカレーも、フランスのシチューも受け入れる。(余談だが、メキシコ料理と白米の相性も、じつに良い。モーレソースをかけたご飯を、いつか試してみてほしい)。マサにも、同じ懐の深さがある。それが、まだ十分に知られていないだけだ。

一粒の種から、ここまで。マサの旅は、まだ続いている。

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私のレストランでは、毎シーズン、日本の食材とマサの組み合わせを試している。旬の野菜、地元の魚、この土地でしか手に入らないもの。メキシコ料理の「言語」——その構造、その論理——は守りながら、素材は日本のものを使う。これはメキシコ料理の模倣でも、日本料理の亜種でもない。二つの食文化が、マサというプラットフォームの上で、対等に会話している、と思っている。

うまくいくこともある。予想外の発見もある。失敗もある。でも、その積み重ねの中に、少しずつ、何かの輪郭が見えてきている気がする。

蓼と鮎。マサは、この国の食の言語を、すでに話し始めている。

私がひそかに楽しみにしているのは、日本がとうもろこしを受け取った後に、何を作るか——だ。私たちの実験は、その答えの一つに過ぎない。小麦がラーメンになったように、マサは日本で、まだ名前のない何かになると思っている。メキシコにも存在しない、日本だけの何かが生まれるかもしれない。

その瞬間の手前に、私たちは今、立っている。

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