
クラッシュカレーの旅 第12回
誰が為に石臼は鳴るのか?/再び熊本・石臼・叩き旅
自分は、自分のことばかり考えているんじゃないか、と思うことがある。
自分は、自分の興味があることしかしていないよな、と自覚することがある。
自分は、自分のためにカレーを作っているのかも、と疑念を抱くことがある。
自分は、自分は、自分は……。今のところ自分は、自分中心でできている。
人としていかがなものか?
もっと誰かのために動けないのだろうか?
そこで、最近、「カレーのお手伝い」というプロジェクトを勝手に始めた。カレーにまつわる活動をしている仲間たちに何かしらのお手伝いを申し出るのだ。たとえばこれまで水田の草刈りをしてみたり、大量のニンニクの皮むきをしてみたり、改装中の店舗の壁に漆喰塗りをしてみたりしてきた。たいして役には立っていないが、ひとときだけでも誰かのお手伝いができ、誰かのために時間を過ごしているつもり。
先日、熊本へ用事があって出かけた。土日で目的を済ませ、月曜に東京へ戻る予定だった。すると、友人が、「せっかく熊本にいらっしゃるなら、月曜にカレーを作ってもらえませんか?」と言う。そこで、数量限定でカレーランチを販売することになった。この場合、誰かの依頼を受けてのことだから、自分のためではないと判断していいのだろうか。ただ「どんなカレーでもいいです」と言われ、「じゃ、クラッシュカレーを作ります」と答えたのは、明らかに自分が作りたいカレーだからである。
赤のクラッシュカレーにしようと決め、赤唐辛子を叩き始める。焼酎で浸水し、辛味を抜いて水気を含ませた唐辛子はまもなくペースト状になった。快調な叩きだしである。
続いて、レモングラス、にんにく、しょうがなどいつものアイテムを潰していく。少しだけアレンジしてローステッドカレーパウダーを最後に加えた。フレッシュとローストの相対する2方向の香りを併せ持つ香り玉ができあがる。
はたして石臼を叩くとき、僕の心の中に少しでも「食べてくれるお客さんのために」という思いがよぎっただろうか。自信がない。「ほう、今日はこんな潰れ具合か」と、まあ、石臼の中の小宇宙に夢中になっていただけのことである。
鍋に加えてココナッツミルクから抽出した油と炒め始める。力を込めてカン! カン! と叩く作業に比べると地味で静かなプロセスである。ここで香り玉の風味と色味を油に移すのだが、順調に移っているかどうかの判断基準はうっすらにじみ出てくる油分の確認という、極めて曖昧でわかりにくいものだ。努力の結果を実感しにくいから手早く進めたいところだが、じっくり炒めるのが肝心だ。逆にここまでできてしまえば後は簡単。残りの材料をすべて加えて煮るだけ。
主役は夏野菜と決めていた。色とりどりの野菜たちが鍋に入り、白いココナッツミルクが入ると鍋中が突然華やかになる。夏の花火も顔負けの華々しさ。グツグツとひと煮立ちさせる。ここで、最高の瞬間がやってくる。
白いココナッツミルクに先ほど炒めた香り玉のエキスがじんわりとにじみ出てくるのだ。明るいオレンジ色の油がゆらりゆらめく姿は、香り玉を炒めたプロセスが成功していることの証。「ああ、今日もきれいだ」と自己満足に浸り、そっと鍋にふたをする。あとは火が通るのを待つだけだ。
そこでふと待ち時間に考えた。石臼は香り玉を作るための道具である。すなわち石臼は香り玉のお手伝いをしている。香り玉を炒めるためにココナッツミルクから抽出した油分があり、その結果を確認するためにココナッツミルクの白が活躍する。ということはココナッツミルクも香り玉のお手伝いをしていることになる。そして、いま、鍋の中で夏野菜と共にクツクツとしている状況は、香り玉の風味が夏野菜の味わいを引き立てるべく一緒に煮込まれているのである。要するに香り玉が夏野菜のお手伝いをしている。
クラッシュカレーとはお手伝いの連鎖が生んだ作品と言えるのではなかろうか。
かつて、イギリスの詩人ジョン・ダンは「誰が為に鐘は鳴る」と言った。「人は皆大陸の一部」であり、「自らも人類の一部」である、と。自分のことばかり考えている自分を戒めるには十分な言葉だ。では、「誰が為に石臼は鳴る」のかと考えたら? それは香り玉のためであり、夏野菜のためであり、最終的には食べてくれるお客さんのためということになる。
石臼は決して自分のために鳴ってくれているわけではない。そのことにハッとさせられた。すべての好意は誰が為にある、と気づきをもらえた熊本・石臼叩き旅であった。
- AIR SPICE CEO
水野 仁輔 / Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年にカレーに特化した出張料理集団「東京カリ~番長」を立ち上げて以来、カレー専門の出張料理人として活動。カレーに関する著書は40冊以上。全国各地でライブクッキングを行い、世界各国へ取材旅へ出かけている。カレーの世界にプレーヤーを増やす「カレーの学校」を運営中。2016年春に本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を開始。 http://www.airspice.jp/