
連載「じゃない方のたまご。ラーメンと固茹で玉子の幸福な関係」#2
ラーメンにたまごが乗った日
生卵、ゆで玉子、卵とじ。まだまだたまごがラーメンに乗らなかった時代。それは、裏を返せば、まだまだごく普通のラーメン自体が新しく、珍しい時代だったともいえる。ラーメンそのものが差別化された新鮮な商品だった。
それが変わっていくのは戦後。
「初めてラーメンに味付け卵をのせたお店」として広く知られるのが、荻窪にあった漢珍亭(※閉店 1947-2013)だ。
漢珍亭は創業者が台湾出身だった。屋号も当初は[丸仁]といい、中華料理系のお店であったが、後に[漢珍亭]に変えている。この台湾出身というところがポイントになる。
日本では味玉といえば黄身が半熟か否かの違いで、たまに燻製玉子を見掛けるくらいだが、中国には様々な種類のものがある。代表的なものを紹介しよう。いずれも煮玉子の派生である。
魯蛋(ルーダン):台湾で最もポピュラーな煮玉子で、「煮込み玉子」の総称。魯肉などと一緒に五香粉などの香りをつけ煮込む。
茶葉蛋(チャーイエダン):固茹でした玉子の殻にヒビを入れた後、醤油、紅茶やウーロン茶などの茶葉で煮込み。ヒビから煮汁が染み込み色をつける。
鉄蛋(ティエダン):台湾・淡水の名物で、「鉄の玉子」。何度も煮込み、乾かすことで水分が抜け硬く濃厚な味わいに。
虎皮鶏蛋(フーピージーダン):「虎の皮の玉子」という意味。固茹でにした玉子の殻をむき、油で揚げてから醤油や香辛料で煮込む。
あまり聞き慣れないものもあるが、実はよく探せば、身近な中華、台湾料理系のお店では置いてあったりする。余談だが、基本的に鶏卵を生や半熟で食べるという文化は、衛生面の観点から世界では積極的ではなく、トレーサビリティや信頼性の問題もあり、上記のようにしっかり煮込んで火を通す、が料理の原則になっている。
話を戻そう。[漢珍亭]は、この魯蛋をモチーフにした味付けの玉子がもともとメニューにあり、それをラーメンに入れたようである。入れた理由は、一説にはお客さんが入れてくれ、といったとか。そのお客さんの意図は定かではないが、酔狂だったのか、同じような味付けなら合うと思ったのか、それともおでんなどがイメージにあったのか。それとも他の理由か。いずれにせよ、味玉は[漢珍亭]のイメージを決定づけた。
[漢珍亭](閉店)のラーメン。味玉はどのメニューにも入れることができた
台湾がルーツという意味でいうと、渋谷[喜楽]、大井町[永楽]などに代表される喜楽大飯店系だろう。彼らのラーメンにもやはり、魯蛋モチーフのしっかりと煮込んだ味玉が乗る。[喜楽大飯店]はすでに閉店しているが、戦後まもなくの創業で、渋谷[喜楽]は1952年に独立、開店。
喜楽大飯店系譜のお店たち
同じ荻窪では、大人気だった[春木屋]も[丸長]、[丸信]にもしばらく味玉やゆで玉子が入ることはなかったが、同時代の1951年に開業した[丸福]は味玉を売りにしたラーメンであった。漬け込んだ味玉のタレ(煮汁)を加えることで独特の味わいを出していると、その後のメディアによって明かされるとマニアは、そうなのか!と感心したものだった。
[丸福本店]は2025年11月で一旦閉店。その後移転予定
この時代(1950年代)になると朝鮮特需が引き金となった経済復興と所得の向上が、鶏卵の大衆化を可能としただろう。食糧難の時代は解消され、栄養価の高いものが求められるようになる。
その中でも、たまごは料理の素材の中でも主要な立ち位置を確立していく。開国前や戦後直後のハイパーインフレ期には高価な鶏卵も、長い目でみれば、逆に「物価の優等生」と呼ばれる安定した価格の食材なのである。
ゆで玉子とは、まさに時代に求められたトッピングと言えるだろう。……と、なれば話は早いが、ラーメンにおいてはいまだ主流とは言えないのが実情だったようだ。『栄養状態の悪かった戦後、安価で栄養価の高いゆで玉子が重宝された』という戦後食文化の定説も、ことラーメンに関して、麺に練り込まれることはあっても、具として乗せられる対象ではないようにみえる。
大衆食の王様(あるいは王位に就く直前の王子か)たるラーメンと玉子。両者はすぐ隣にいながら、交わることのない関係にあったのである。
次回は、すぐ隣にいた玉子との関係とメニューに載った「たまごそば」について。
- Ramen Archiver
渡邊 貴詞 / Takashi Watanabe
IT、DXコンサルティングを生業にする会社員ながら新旧のラーメンだけでなく外食全般を食べ歩く。note「ラーカイブ」主宰。食べ歩きの信条は「何を食べるかよりもどう食べるか」
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