連載「クラッシュカレーの旅」#15

プレッシャーと自意識の狭間で/東京・浅草・石臼・叩き旅


Jinsuke MizunoJinsuke Mizuno  / Nov 15, 2025

今年も終わろうというのに過ぎ去りし夏のことを思い出している。

いや、思い出すというよりも引っ掛かっているといった方が正しいかもしれない。浅草で毎年開催されている「1万人カレー」というイベントでのことである。

昨年、僕はそのイベントで辛口のクラッシュカレーを作った。普段は「カレーが辛くなる」ということに対して警戒心がある。辛いのが苦手な人が意外と多いからだ。ところがその年は何か虫の居所が悪かったのか、厭世的な気分だったのか、覚えていないが「どうにでもなれ!」とばかりにかなり辛口のクラッシュカレーを作った。

結果、辛さが功を奏したとは思えないが、3人の参加者から絶賛の声を聞いた。3人という人数を顔まで思い出せるほどハッキリと記憶しているのは、それが最上級の誉め言葉だったからだ。

「これまでの人生で食べたカレーの中でダントツにおいしかったです!」

3人ともが口をそろえて別々のタイミングでそう僕に言ってくれたのである。人生一位はなかなか獲得できるものではない(今頃もう更新されているかもしれないが)。有頂天になったことを覚えている。

さて、あれから1年が経過し、また浅草でのイベント本番を迎えることとなった。当然、作るのは、クラッシュカレーである。気に入りの石臼を携えて現地へ向かう僕の心には、複雑な思いが交錯していた。

去年のあの味を僕は超えることができるのだろうか。

つまりその気持ちはわかりやすく言えば、「プレッシャー」というものである。

赤の香り玉を作る。

レモングラス、カー(タイの生姜)、にんにく、焼酎漬けした赤唐辛子、クミンシードとコリアンダーシード。極めてオーソドックスなラインナップだ。ヘタにアレンジなどするのは危険。去年の自分と戦うために正攻法を取るのだ。

とはいえ、「なんだか普通ですね」なんて仕上がりになるのは情けない。牛バラ肉の塊とにんじんを煮込むときには、インドのお土産にもらったホールスパイスたちを加え、豊かな香りで化粧をほどこした。

調理は順調に進む。香り玉は明らかに去年よりも美しい。これぞ成長の証。非の打ち所のない球体である。いつも通り、ココナッツミルクを煮詰めて油分を分離させ、香り玉を絡めていく。今年のクラッシュカレーは無事完成を見た。果たして去年のそれと比べて出来はどうだったのだろうか。

我が敬愛する(どころか崇拝すらしている)みうらじゅん氏は、「比較三原則」なるものを提唱している。

①親と比較しない
②他人と比較しない

はじめの2原則はもうとっくに実践している。問題は3原則目である。

③過去の自分と比較しない

これはすこぶる難しい。1年経過したのだから、1年分技術も実力も上がっているはずだ、と僕は常に考えてしまう。去年のカレーよりも今年のカレーの方が出来が悪いだなんて、ありえない。

なんて具合に過去の自分と今の自分を常に比較してしまう僕は、現に今年、浅草に向かう電車の中でプレッシャーと戦う羽目に陥っていたのだ。心理学の世界では、自分自身の能力や限界を認識しようとする内面の心の動きを「私的自意識」というらしい。ならばプレッシャーなんてものは自意識の邪魔になる。

去年、僕に手放しの称賛を浴びせた3人は、今年、会場にはいなかった。

僕はその事実にほっと胸をなでおろした。少しだけプレッシャーから逃れると、代わりに自意識がむくむくと身を持ち上げてくる。参加者が今年のクラッシュカレーを食べ始めた。すると僕の自意識はどこかへ引っ込み、プレッシャーがふくらみ始める。僕は僕の中で独り忙しく、食べている人の顔を窺ったりすることはできない。

ああ、今日は「これまでの人生でいちばん!」だなんて、誰も僕に言わないでくれ~! 自意識過剰もいいところである。

イベントは終わった。今年のクラッシュカレーがどうだったのか、僕は知らない。来年こそは、今年と比較しないで気軽に叩かねば、と肝に銘じた浅草・石臼叩き旅であった。

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