電影食堂出張編 2025年山形国際ドキュメンタリー映画祭

海鮮干物の網焼き、ムール貝のチャウダー


Kyoko EndoKyoko Endo  / Nov 24, 2025

失われた場所、これからつくる場所――居場所としての食の場

 今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭は、難民、移民や自然災害、内戦(権力者による市民への一方的な空襲もそう呼ぶならば)などで暮らしの場を失った人々が描かれた作品が多かった。印象的な食のシーンは数々あったが、とくに『日泰食堂』と『ロッコク・キッチン』の食べ物を連想させるタイトルの2作は人気で立ち見が出る盛況だった。どちらもファンシーなレストランでご馳走を食べる話ではないところが重要だ。なぜなら私たちの身体は大部分は日常食べるものでつくられるのだから。そして何を食べるのかと同じくらい、どんなところで誰と食べるのかも重要だと再認識させられた。

 『日泰食堂』は香港の長州島の、日本でもふた昔前の江ノ島あたりでよく見かけたような佇まいで、店の前ではおやっさんがイカやエビや貝や魚の干物を焼いている、観光客が気軽に立ち寄る小さな店だ。常連客は勝手にビールを冷蔵庫から出すシステムで「ビールがぬるいよ。まけてよ」と言えば「冷たいものは身体に悪いよ」とおかみさんに返されるカジュアルさ。地元の人が集まって賭けトランプをやっていたりして『男はつらいよ』のとら屋が飲み屋になったような雰囲気だ。ここだけでNHKの『72時間』だって撮れそうだが、カメラはこの店の中だけにはおさまっていない。

画像提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭

 元常連で店員の肥美さんが、香港民主化デモに参加するようになる。このデモの発端は犯罪容疑者を中国本土に引き渡す逃亡犯条例の改定だった。事情を知らないノンポリの方は、悪い人を引き渡すだけでしょうと思うかもしれないが、権力者にとって都合の悪い人権活動家を犯罪容疑者に仕立て上げるようなことが公然と行われる現地の実態を知れば、この条例の危険さがわかるはずだ。香港民主化デモが、というより市民を押さえこもうとする警察の暴力がどんどん苛烈化していくのを肥美さんを追うカメラが捉える。『理大囲城』などでも描かれてきた圧制だ。
 しかし肥美さんが戦争のような香港中心部から長州島に帰ってくると、そこには元通りの和やかな時間が流れている。でも、日常を安らかに過ごしたいおかみさんやおやっさんと、肥美さんの意見がずれてきたりする。そしてコロナがやってくる。「何が正常かわからないよ」とつぶやく肥美さんに「すぐ終わるさ」と答えるおかみさん。
 監督は、もともとこの島で育って10代の頃から店に入り浸っていたという。進学のために台湾に渡って、故郷の姿を残そうとしてこの映像を撮った。だから民主化デモや家族のように集まる人々の和解は、意図せず撮れたものだ。上映後に登壇した監督の話によれば、撮影後、肥美さんはカナダに行き、ほかの客も結婚したり出産したりし、おやっさんはもう働けなくなってしまったという。懐かしい場所が変わっていく過程が、ある地域の民主主義が奪われる過程と重なっている。そしていまはその懐かしい場所も失われてしまったという現実が、もう一つの重い現実と重なってくる。それでも人々の日常はそれぞれの場所で繋がっていくだろう。あまりにも親しみやすい人ばかり出てきて、彼らがいまどうしているかが親戚のように気になる作品だった。

 一方、新たな居場所をつくった人々を描いた作品があった。日本橋から仙台まで続く国道6号線、通称ロッコク沿い、福島第一原発事故後の帰宅困難区域となった大熊町と双葉町、浪江町、南相馬市小高区の人々を彼らの日常食から描いた『ロッコク・キッチン』だ。福島を取材する過程で、暗い中でぽつんと人家の明かりが灯るのに「どこで食べ物を買っているのかな。スーパーとかあるのかな」と監督たちは疑問を感じて人々に話を聞いたらすごく面白かったという。普段、料理をしている生活者だからこそ出てくる気づきだと思う。

©ロッコク・キッチン

 映画に登場する人々は、昨日の晩ごはんを尋ねられて「えっ…」と口ごもる。特別な日ではない日のメニューはすぐには頭に浮かんでこない。すらすら答えられるのは手がかかる料理に挑戦した人と、玉子かけごはんや具沢山味噌汁などいつも決まったものを食べている人だ。食事のバラエティが観ていて楽しい。
 主な登場人物となる3人は、それぞれ新たな自分の居場所をつくっている。浪江町に住んで外国人観光客に町を案内しているインド出身のスワスティカ・ハルシュ・ジャジュさん、南相馬市小高区で震災体験やメッセージをアートで伝える「俺たちの伝承館」を開いた写真家の中筋純さん、夜の本屋「読書屋 息つぎ」をおばあちゃんの畑の真ん中でやっている武内優さんだ。

©ロッコク・キッチン

 武内さんは小学6年生のとき震災を経験して、体育館を転々としたのちに栃木の母の実家に行き、そこから戻ってきた。昼は板金加工の仕事をしていて、その板金は廃炉作業中の福島第一原発で使われる。武内さんが見るからに寒そうな畑の真ん中で話をしていると、友人の石井さんがムール貝のチャウダーを持ってくる。吐く息が真っ白で「おいしくなくてもおいしく感じると思います」。謙遜しておっしゃっているのだと思うけれど、これは千利休も言っているもてなしの極意だ。息つぎ店主は「冬は寒い、夜は寒い、そういうことをちゃんとわかるのが大事だなと思って」とも言うが、そうした自然の寒さのなかだからこそ、湯気をたてるチャウダーがご馳走になるのだ。この映画に出てくるスワスティカさんのチャイも、中筋さんの焼き肉も、食の思い出にはどれも感動するが、共通するのは温かさだ。温かいという言葉は人柄を表すときなどにも使われるが、寒さは生命に関わる。温かさとは命綱のようなものなのだ。
 冬暖かい部屋でアイスクリームを食べたりするのも当たり前になっているが、その電気がどこからどうやって来たのか知っておきたい。この映画のなかでは2025年3月11日に福島からたった80キロ離れた東京都庁で電気を使いまくったプロジェクションマッピングをやっている様子も映され、私は都民であることを恥ずかしく感じた。食べものから現在の福島、私たちのエネルギーの使い方についても考えさせられる秀作だった。

 『日泰食堂』と『ロッコク・キッチン』の2本とも、劇場で一般公開して多くの観客に見てもらいたいと思っている。また、見たいと思いながらもスケジュール的に見ることができなかった作品を見る機会を切望している。

『ロッコク・キッチン』は2月に劇場公開予定とのこと。また、書籍版が同じタイトルで11月20日に講談社より発売された。

日泰食堂
香港の長州島の小さな食堂に集まる人々。民主主義を取り戻そうとする人々の声の高まりは島にも伝わってくる。民主化デモに参加する若者と、安定を求めて声を上げられない老人たち。その後コロナ禍も起こり…激動する社会のなかの小さな擬似家族の和解が描かれた、才能ある若手監督の初長編ドキュメンタリー。

監督:フランキー・シン (2024/台湾、香港、フランス/83分)

ロッコク・キッチン
福島第一原発事故のために帰宅困難地域となった大熊町、双葉町、南相馬市。周辺地域も東北大震災の津波で更地になってしまっているなか、戻ってきた人や、人々に魅せられたり、語り続けることの意義を感じて新たに住み始めた人がいる。そんなロッコクこと国道6号線沿いの人々の暮らしを日常食から描いた珠玉作。

監督:川内有緒、三好大輔 (2025/日本/122分)

 

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