食の学び舎「foodskole」授業体験レポート vol.9

食べものとウンコのはなし。


Satoshi HiraiSatoshi Hirai  / Nov 26, 2021

まずはじめに。

こんにちは。食の学び舎「foodskole(フードスコーレ)」で校長をしています平井巧です。

foodskoleでは、2021年4月から「21年度前期Basicカリキュラム」がスタート。社会人から大学生、年齢も立場もバラバラな方たちが、9月までの半年間、全12回の授業を通して一緒に食について学び合います。

食を文化として学び、食にまつわるモノ・概念を持論で創造し、生きる力を持つ。これを「食の創造論」として、foodskoleのテーマに置いています。

foodskoleの授業の中で、ゲスト講師に教えてもらったこと、受講生のみんなで話し合われたこと、気づかされた視点は毎回たくさんあります。これをレポートとして形に残すことは、後々の振り返りとしてきっと役立つはず。

何よりfoodskoleの中にいる自分たちだけでなく、食のことが好きなたくさんの人たちに、このことをおしみなく共有したい。そんなことを思いましたので、いま受講している方に、授業の「体験レポート」を書いてもらっています。

過去レポートはこちらから
1回目: まずは循環のはなし。世界のこと。
2回目: 発酵でつなぐ都市と地域。
3回目: 市場、ポケマルとスーパーの違い。
4回目: 野菜は誰かが運んでいる。 
5回目:
見える畜産。
6回目:食材の始末を考えて料理をするということ。
7回目:なぜ料理をするんだろう?
8回目:なぜ料理をするんだろう? 2回目

foodskoleで学ぶ自分たちがそうであるように、これを読まれた方たちにも、「食」の向き合い方に良い変容が起きることを期待して。これからこの授業体験レポートをお届けしていきたいと思います。

foodskole 公式サイトは、こちらをご覧ください。

8回目の授業は「食べものとウンコのはなし。」をテーマに法政大学人間環境学部教授の湯澤規子さんをゲスト講師にお招きしました。

今回の体験レポート担当は、foodskole生の坂本 里菜さんです。(foodskole長/平井巧)

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こんにちは。フードスコーレ受講生の坂本 里菜です。食にまつわる様々な課題について持論が持てるようになりたいと受講を決めてから早5ヶ月、あっという間に夏を迎えました。

これまで8回の授業を通して、「生産→加工→流通→料理」と食にまつわることをあらゆる角度から学んできました。

9回目の授業のテーマは「食べものとウンコのはなし。」食と排泄は密接に関わっているにも関わらず、なぜかあまり語られることのない「出すこと=排泄=ウンコ」について掘り下げた講義でした。

生きるために必要なことはなにか

「生きるために必要なことはなにか」と問われたとき、なんと答えますか? わたしは真っ先に「食べること」と答えます。なぜなら「食」は心と体の健康に密接に関わっていると思うからです。

今回の講師である湯澤さんは、授業の最初に「生きるために必要なことは何か」という問いに対して「出す(排泄する)こと」と答える人はほとんどいないとお話しされました。

言われてみると、「出す(排泄する)」ことをしなければ「食べる(入れる)」ことはできません。排泄は生きるために食べることと同じくらい大切なことなのかとハッとさせられました。

ウンコは汚いのか

わたしは今回のお話を聞くまで、「ウンコ」とは下品で口にしてはいけない言葉だと思っていました。いまでもまだ少し発言することには抵抗が残ってしまっています。

それは幼い頃から「ウンコは汚い言葉だから口に出したら下品よ。」と擦り込まれてきた教育によるものなのだろうと思います。

しかし、なぜ汚いと思われてしまっているのでしょうか。全世界の人の中で排泄を経験したことがない人はほとんどいないはずで、本来は共通のテーマとして話しやすいはずです。

それにも関わらず、汚いものというレッテルを貼り、話題にあげることをせず、蓋をしてきてしまっています。

「幼い頃からの教育は、ほんとうに食育だけでいいのだろうか? 」湯澤さんが問題提起されていた問いについて、とても考えさせられました。

たしかに食べることと出すことは両方とも生きていく上で欠かせないことなのに、なぜか「食」だけに強烈なスポットライトが当たってしまっています。

もう少し、排泄について考える機会があってもいいのではないでしょうか。食と同じくらい気軽に話せるように、まずはウンコの歴史を教えていただきました。

昔、ウンコには値段がついていた!

江戸時代、ウンコには値段がついていたそうです。下肥として、ビッグビジネスとなっていました。そして近代に入った大正時代にも、肥料として大根と物々交換をするくらいに、宝物として捉えられていたといいます。

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参考資料:湯澤さん講演資料より

湯澤さんは「この資料が100年前から届いたウンコからの手紙だと直感で感じました。」とおっしゃっていました。わたしはウンコがたった100年前まで宝物として捉えられていたことに衝撃を受けました。

しかし時代が進むにつれて、急激な人口増加により処理に困る量が排泄されたことや、コレラの流行により衛生面での配慮が必要となったことに影響を受け、宝物から一変、たちまち汚物として捉えられるようになりました。

ウンコはどう処理されているのか

トイレで流した後のウンコがどのように処理されているのか、わたしはこれまで知らずに生きてきました。2002年に海洋汚物防止法が制定されるまで、汚泥の海洋投棄が認められていたと教えていただき、最近まで海に流されていた事実にとても驚きました。

現在は、汚泥のほとんどが焼却されています。一度下水道に流し、大量に水分を吸った汚物を焼却するため、莫大なエネルギーとコストがかかっているのが今の汚泥処理の現状です。

焼却された汚物は、埋め立てられるかセメントに混ぜられて建物の壁などに利用されているそうです。緑農地利用も一部あるそうですが、あまり進んでないといいます。

焼却が主な処理方法である現在、「水洗トイレは果たして理にかなっているのか?」という疑問が受講生からありました。

例えば自然と近い場所のトイレであれば、「水洗トイレで一度大量に水分を含ませてしまうのではなく、ウンコを乾燥させて、生ゴミのように一箇所に集めて土に埋め、自然に返す方がいいのではないか。」というアイディアがでました。

衛生面・技術面・コスト面などの実現性はさておき、焼却前に一度大量に水分を含ませる下水処理のあり方について考え直し、話し合う機会がもっとあった方がいいのではないかと感じました。

ウンコで未来は語れるのか

これまでは当たり前のようにウンコを水洗トイレに流し、その後ウンコがどこへ行きどのように処理またはリサイクルされているのか考えたこともありませんでした。

昔ウンコは宝物として肥桶で運ばれ、堆肥として土に返され、その土地でまた作物が育つというように目に見えて循環していました。

しかし現在は、分解に注目する機会は日常の中で限りなくゼロに近いと思います。生産と消費のみが注目されていて、さらにその両者は都市部においてほとんど繋がりをもっておらず、切り離されて考えられることが多いのが現状だと思います。

それぞれが分離してしまっている生産と消費だけを結びつけるのではなく、さらに分解にも注目することで循環が生まれやすくなるのではないかと思いました。

生産者も消費者も自分の排泄のゆくえについてもう少し考える機会が増えたとしたら、循環について考える機会もおのずと増えてくるのかもしれません。

実際に現在も「下水汚泥の緑農地リサイクル」は行われています。例えば山形県鶴岡市では、下水汚泥を籾殻と合わせコンポストとして利用する取り組みや、汚泥を消化槽で発酵する際に生じるメタンガスを事業者が発電する取り組みを実施しています。

食のみに注目するのではなく、食と密接に関わっている排泄にも注目することで、循環やさらには環境についても考える機会が生まれると思います。ウンコがリサイクルされている事例はまだ少ないですが、これから増えてくれば、ウンコで未来は語れると思いました。

例えば都市部の消費者の排泄物がコンポストとして地方の生産者に届いたとしたら、ウンコは分解という側面から、生産と消費の分断をつなぎ循環を生む鍵になるかもしれないと思いました。

わたしは今回の授業を受けて、今まで考えてこなかった排泄の重要性に気づくことができました。食べることと出すことは密接に関わっており、両者に注目することで循環や環境といった新しい視点での学びがあることを知りました。

排泄は何気ない日常のひとつですが、捉え方次第で、食育と並ぶ教育の可能性があることなど、あらゆる可能性を秘めていると感じました。

坂本里菜(さかもとりな)

1997年生まれ。2020年3月法政大学経営学部経営学科卒業。社会人2年目。幼いころから嫌いな食べ物が1つもなく、食べることが大好き。大学時代のゼミでフードロスのイベントを開いたことがきっかけで、「食」にまつわる様々な課題に興味を持つようになった。「食」について憂うことなく持論が持てるように勉強中。

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