
連載「丼 ── 魅せる『文様』、もてなす『構造』」#2
装飾としての丼①
近年はラーメンイベントなども盛んに行われ、青空のもとで自由にラーメンを謳歌することができるようになった。普段身近で食べられないような一杯が手軽に味わえるのも嬉しい。そんなイベントにおいて、あえて物足りない点を一つ挙げるとすれば……それは「丼」になるだろう。やはりラーメンは温かい食べ物。発泡ポリスチレンの簡易容器ではなく、陶器の器で食べたいものだ。
あるいはコロナ禍において、お店もお客さんも外食の機会を奪われていた時期、冷凍ラーメンを通販などで買った方がいるかもしれない。そのときに思ったはずだ。「うちにある丼じゃ、なんだか雰囲気が出ない!」と。
私たちは、ラーメンを丼も含めて体験している。もちろん、店そのものや、そこに辿り着くまでの道程すべてが体験なのだが、メインイベントとして手元に供された一つの丼とラーメンの「顔」を見て、一喜一憂しているわけだ。
そんな丼について、少しだけ掘り下げてみよう。まずは、丼に描かれる「模様」についてだ。

ラーメンの多様化に伴い、その店オリジナルの丼も増えたが、多くの人が「ラーメンの丼」としてイメージするのは、雷紋、双喜紋、龍、鳳凰といった中国由来の模様だろう。もともと、これらは「吉祥文様」と呼ばれ、おめでたい事柄や縁起の良さを象徴するデザインだ。日本でも松竹梅や鶴亀などが器に描かれてきたが、その中華版が雷紋などの文様だったのだ。

この中華そばに描かれる吉祥系の文様の中で、日本発のデザインとなったのが「雷紋」である。その誕生の地は、西浅草のかっぱ橋道具街にある、最古参の老舗食器店[小松屋]だ。ラーメン好きなら誰もが一度は目にしたことのある丼を多数手掛けてきた、いわば“聖地”である。
小松屋の創業は明治42年(1909年)。九谷焼の産地である石川県小松から上京した初代が浅草で開業した。初代は高齢であったため、すぐに経営を息子の本 清太郎(もと せいたろう/実質的な小松屋の初代)に譲った。だが開業当初、故郷の九谷焼を売り出したものの、高価な装飾品だったためあまり売れず、商売は難航していたという。
そこで浅草の飲食店向けに、安くて丈夫な食器を売る方向へと転身。これが大当たりする。折しも1910年、日本初のラーメンブームを巻き起こした[來々軒]が浅草に誕生しており、ラーメン丼の需要が大幅に高まっていた時期でもあった。

そんなある日、ラーメン店主から「もっと中国っぽい丼にしてほしい」と要望を受け、清太郎が九谷焼の柄からヒントを得て考案したのが「雷紋」だとされる。その丼を採用し、小松屋にとって地元浅草の重要なお得意先となったのが[来集軒]である。

- ラーメン考古学者 / Ramen Archiver
渡邊 貴詞 / Takashi Watanabe
IT、DXコンサルティングを生業にする会社員ながら新旧のラーメンだけでなく外食全般を食べ歩く。note「ラーカイブ」主宰。食べ歩きの信条は「何を食べるかよりもどう食べるか」
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