連載「名店のシグナル〜 一段上の食べ歩き論 〜」#2
ラーメンメディアの「行間」を読む技術②
今回は、メディアに「乗せられる」のではなく、情報の「波」を主体的に乗りこなす方法について論じてみたい。
そもそもの問いだが、ラーメン食べ歩きの目的とは何か。
本稿を読んでいる熱心な探求者諸氏にとっては、その目的が多岐にわたることは自明であろう。 だが、食にさほど関心のない層からすれば、「単純に美味しいものを食べたいだけではないのか」と、不可解に映るかもしれない。
もちろん、根源的な欲求はそこにある。 しかし、その形態は様々だ。最新情報をいち早く掴み発信したいという流行への感度。 「知る」こと自体を目的とした知的好奇心。 あるいは、SNSでの承認欲求を満たそうとする心理。 そして、純粋に「至高の一杯」を追い求める探求心。 等々
しかし、多くの人がメディアを使って食べ歩きをするときに、「ランキング上位だから」「SNSでバズっているから」という外部指標に己を委ね、単なる「点数の確認作業」や「消費行動」に陥ってはいないだろうか。 AIがパーソナライズされた推奨店を提示する時代の到来を前に、我々は主体性のある食べ歩きを体得しておくべきだ。 一段上の食べ歩きの目的とは、単なる確認作業ではない。その一杯に込められた文脈や技術、そして店の思想を読み解く「鑑賞」であるべきなのだ。 そのための視点として、制約を設けた「テーマ食べ」のヒントを提示したい。
まずは、手元に数年前のラーメン雑誌を引っ張り出してみる。 当時の「最新情報」はすでに埃を被っているが、その埃を取り除き、磨きあげる(どう解釈するか)がみなさんの役割である。
1 情報のヴィンテージ: 古い本(3〜10年前)のランキングを俯瞰する。
2 時系列の鑑賞: 創業年を意識し、垂直・水平の視点で食べる。
3 選考者のキュレーション: 味覚が「同期」する個別の目利きを見つける。
第一に、「情報のヴィンテージ」という視点だ。 あえて3〜5年前のランキングを見渡してほしい。 当時、鳴り物入りで上位に入り、かつ今なお行列を絶やさない店こそが、真の「良店」である。 そこには流行に左右されない本質的な美味しさと、数年の営業を経て磨かれた「円熟味」が存在する。 世間が最新情報を追い求めてしまう影で、店が静かに味を磨き上げる。この齟齬こそが情報の賞味期限を見極める有意義な瞬間であり、メディアが煽る「新しさ」という魔力に抗う主体的な姿勢といえる。
一例を挙げたい。2021年にオープンした板橋区大山の[おさだ]だ。 名門[たんたん亭]から[かづ屋]へと続く系譜を継ぎ、開店当初からすでに人気を集めていた。だが、店主の探求心はそこで止まることはなかった。スープの濃淡や自家製麺の仕上がり、さらにはネギの配置といった細かな点まで、ずっと試行錯誤を続けてきたのだ。 ここ最近、その努力が結実したのか、味はぐっと落ち着き、実に見事な調和を見せるようになっている。こうした店自体の「成熟」を肌で感じるために通うことも、食べ歩きにおける大きな楽しみの一つだろう。
![]()
第二に、創業年を軸とした「垂直」と「水平」の食べ歩きだ。 古い店から創業年順に辿る垂直の視点と、同年代の店を集中的に巡る水平の視点。 これはいわば「時系列の鑑賞法」である。
この手法の効能は、単なる比較可能な土俵をつくる、ということだけにとどまらない。最大のメリットは、舌のリセット効果にある。 味覚は常に一定ではなく、外的・内的要因、あるいは「どのような姿勢で味わうか」によって劇的に変化するものだ。 粗探しをするような冷徹な視点と、期待に満ちたポジティブな姿勢では、受け取る情報は全く異なる。 こうした主観の揺らぎを制御するために、時間軸という確固たる指標を据えるのである。
特に、古い店から順に食べることで、当時の時代背景を追体験し、進化の過程を当事者的な感覚で楽しむことができる。 原型となった一杯が、現代の刺激的な味に慣れた舌には物足りなく感じたとしても、それが今に繋がる「線」であると理解すれば、その価値は十分に伝わるはずだ。 「どちらが美味か」という評価が、いかに単一的で狭量な視点であるかに気付かされるだろう。
例えば、巨大な系譜の総本山である[永福町大勝軒]を挙げてみよう。 創業は1955年。今なお凄まじい行列を作り続ける、まさに怪物店だ。もちろん、その系譜を辿る食べ歩きも楽しいものだが、ここでは趣向を変えて、1955年当時の人々がこの店をどう受け止めたかを「追体験」してみてはどうだろうか。
![]()
1955年以前に創業した店は、今ではそう多くはない。しかし、あえてそれらの数軒を先に食べてみるのだ。現代のラーメンに比べれば、旨味は穏やかで、刺激も少なく感じるかもしれない。 だが、そうした味が「日常」だった時代に突如として現れた[永福町大勝軒]のインパクトは、今私たちが感じる「美味しい」という感覚を遥かに凌駕していたはずである。 単に味を評価するのではなく、そんな食の変遷を肌で感じてみる。それもまた、一段上の食べ歩きと言えるのではないだろうか。
最後は、選考者自体のキュレーションである。 自分の味覚と「同期」する個別の目利きを見つけることは、氾濫する情報から身を守るための防波堤となる。 「この評論家の勧める醤油は外さない」「麺の好みが近い」といった共鳴者を持つことは、平均値に埋没した尖った個性を拾い上げる貴重な機会だ。 こうした味覚のシンクロニシティは、孤独な営みである食べ歩きに、豊かな彩りを与えてくれるに違いない。
次回は、大人の「ラーメン体験」について深掘りしていきたい。

- Ramen Archiver
渡邊 貴詞 / Takashi Watanabe
IT、DXコンサルティングを生業にする会社員ながら新旧のラーメンだけでなく外食全般を食べ歩く。note「ラーカイブ」主宰。食べ歩きの信条は「何を食べるかよりもどう食べるか」
note.com/takashi_w/
instagram.com/acidnabe/