連載「ポーランド・ダイアリーズ」#1
音楽・映画・グラフィック…多様なカルチャーと接続する食都・ワルシャワ
ポーランドに行くんだと友人に告げたとき、「一体何しに行くの?」というのがお決まりの反応だった。確かにイギリスやフランスなど「ヨーロッパといえば」のメジャー目的地ではないし、日本で生活していると中東欧というエリアそのものに馴染みが薄い。しかし実際に足を踏み入れていくと「知らないだけで相当掘りがいのあるフードカルチャーが眠っている」そんな事実を直感した。
カタカナならば一文字違いのオレゴン州・ポートランドがかつてヒップな都市として脚光を浴びたように、次なる注目すべき場所はポーランドかも?そう断言したくなるようなエネルギーと刺激を浴び続ける旅だった。まずは首都ワルシャワへ。食とそれ以外の文化、音楽や映画、グラフィックまでが交錯するフードシーンの最前線に接近する。
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滞在中は魅力的な人たちにたくさん出会ったが、中でもとびきりチャーミングなこちらは、ワルシャワ旧市街にある老舗レストラン[U Fukiera]オーナーのマグダ・ゲスレル氏。国民的料理番組『Kuchenne Rewolucje』に登場する御意見番でもありながら、店内に飾られている絵を自分で描くなど才能を遺憾無く発揮。唯一無二の存在感はきっと写真からも伝わるはず。ロマンチックな雰囲気の店内で楽しめる伝統的なポーランド料理は、どれも絶品かつエレガントでした。
初めて訪れた馴染みがない国なのに、全くそう感じない。不思議と受け入れられた気がした。特急列車でワルシャワへと向かい、間も無く到着というタイミングで車内からショパンが流れた時のことだ。
「ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2」(さも知ったように書いたけれど曲名は後から調べた、でも聞けば必ず「あぁこの曲ね」となるスタンダードナンバーである)
クラシック音楽なんてどこか権威的で、子どもの頃なんて退屈で仕方がなかった。でもこの時ばかりは繊細なピアノの音がとても優しく響いたのだ。海外に居ることに心が躍りつつも気が張っていたからだろうか。緊張の糸がふっと切れて、よい滞在になる予感がした。
音楽室のどの角度から見ても、不思議と目が合ったショパン。彼が育ったここワルシャワでは五年に一度ショパン国際ピアノコンクールが開かれる。世界中から選び抜かれたピアニストたちがこの街に集まっては、神業的な演奏を披露するのだ。
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学生時代の音楽室を思わせるモノクロのポートレイト写真…
ではなくこちらはショパン音楽大学の歴代校長たち。
まさに音楽の街、とはいえクラシック音楽だけが愛聴されているわけではない。夜のワルシャワを散策していると外にまで人だかりができている場所を見つけた。かなり大箱のバー[Klub SPATiF]である。この日はジャズのイベントだった。上品なのに気取った感じがしない、誰しもを許容するカジュアルな空気が最高だった。
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日本でジャズを聴きたいと思ったら、集中して音楽を聴くリスニングバーが浮かぶだろう。もしくはブルーノートやビルボード、お行儀良くナイフとフォークで食事をしながら…みたいに高級で若干スノッブな空間になるはずだ。
でもあくまでここはスタンディングで軽快に。瓶ビール片手にジャジーなサウンドに身体をすこしだけ預ける。BPM高めのダンスミュージックでハイになるのではない。盛り上がりつつもあくまでクールなテンション、これが非常に心地よかった。
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ちなみにポーランドでは、クラシックやジャズに限らずロックの熱も強い。ちょうど滞在時にワルシャワの国立競技場では、ガンズ・アンド・ローゼズが公演を行っていた。街で出会った音楽好きは言う。「冷戦の最中でも、ローリング・ストーンズは1967年にワルシャワで演奏していた。でも当時、“思想の匂い”が濃い音楽が歓迎されたわけじゃないんだ」。実際ボブ・ディランがポーランドで演奏したのはずっと後、1994年になってから。どの時代に、どんな音が街に流れていたのか? ふとした会話の端々からも、この街の歴史が覗いてくる。
平日とはいえ終始客足が絶えない。人がどんどん入れ替わり立ち替わり、それでも維持され続ける人口密度。時折交差する意味ありげな視線。何かに火がつきそうな夜の気配が正しくある。若者が多いけれど世代は正直関係ない。洒落たピンクのボレロを着てワイングラスを傾けているおばあちゃんがとびきりキュートで、抜群にこの空間に似合っていた。
性別や年齢を超えて、誰もが同じ温度でそこにいられる。ゆえにうまれる一体感とグルーヴに、文化が立ち上がる匂いがある。東京にこんな店があったら、きっと週一で通うだろう。
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お次は少しだけ中心部から南下してモコトゥフ地区へ。現地の飲食シーンに精通している人に「今一番ヒップなところはどこ?」と直球の投げかけをした時におすすめされた場所である。
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落ち着いた雰囲気の住宅街の中にある[Relaks Café]では、磨き上げられたシルバーのエスプレッソマシンが主役級の存在感を放っている。店内には大きな窓があって日中はたっぷりと自然光が差し込むはず、外のテラスも間違いなく気持ちがいいだろう。夜の閉店間際に訪れたのが惜しい。うーんまさにRelaks Cafeという店名がぴったりだ、そんなことを思いながらも、単に「のびのびできる居心地のいいカフェ」かといえば全く違う、きちんとエッジが効いている。
コーヒーに限らずお酒も用意していて、日本ではあまり見かけない缶のワインまで。そのエチケットのデザインも抜群に格好良い。壁には高い天井に向かってポスターがびっしりと貼られている。何を隠そうこの場所の魅力はグラフィックへの尋常なこだわりなのだ。
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店内には大判出力されたポスターがびっしり。
意外に思うかもしれないが、ポーランドは実はポスター大国である。共産主義時代は商品を売り込むための商業ポスターという概念が希薄だったため、費用対効果を求められることが少なく、クライアントの要望も厳しいものではなかった。政治的な思想に触れなければデザイナーたちは比較的自由にポスターを制作可能で、そんな背景もあって演劇や映画、展覧会、コンサートなどの催しを告知するポスター文化が独自発展を遂げたのだ。
事実、世界初となる公募形式の国際ポスターコンクールが開催されたのもワルシャワであり(ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ)、第一回(1966年)では日本からは永井一正が受賞者リストに名を連ねている。
その二年後には世界で初めてポスターを専門に扱う美術館(ヴィラヌフ・ポスター美術館)がこの国で設立されたことからも、ポーランドにおいてポスターが特別な位置付けのことがわかるだろう。
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見応えのあるワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ。直近の第29回(2025年)は、38か国から6,500点超の応募が集まり、審査を経て数百点が展示作品として選出された。グラフィックデザインや視覚文化に関心があるのなら、2年ごとの開催年に合わせて訪れるのをおすすめしたい。
[Relaks Café]の店内に貼られているポスターの中には、すこしアクが強いと感じるものもあったものの、それらが不思議と調和していることに、非常に強度のある美意識を感じた。現地に住むクリエイターや映画監督などが好んで来るというのも納得である。
映画といえば、こちらもポーランドを語る上で外すことができないトピックのひとつ。国内外で高い評価を受けているウッチ国立映画学校(PWSFTviT)はロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダなど多くの著名監督を輩出している。
白状すると今まで自分はポーランド映画にあまり縁がなかったが、帰国後に観たカンヌ監督賞受賞作品『Cold War(原題Zimna wojna/パヴェウ・パヴリコフスキ監督)』にはしびれてしまった。大切な人を想う事、恋愛の情熱と政治・時代の制約が交錯する脚本の素晴らしさはもちろんながら、感情や時間の流れを映像と音楽で巧みに表現する技法が完璧だった。
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現地でKINO(映画館)という看板を見かけたら是非訪ねてみてほしい。映画館によっては誰でも入れるカフェがあって、のんびり過ごすのも意外と悪くない。サブスクでも映画がたくさんみれるこの時代だからこそ、“わざわざ”映画館に行く「ちょっとだけハレな感じ」をまとった空間は、「日常の食堂」とは違ったテンションがある。現地の空気を感じるにはちょうどよい。
今回のスタディツアーでは俳優の霧島れいかさんとご一緒するという光栄な機会に恵まれ、ポーランド映画の魅力をたっぷり教えていただいた。
その中でも忘れられないのが、霧島さんが以前仕事をしたご縁で訪れることができた、アグニェシュカ・スモチンスカ監督のアトリエである。
玄関を開けるや否や、大型犬が愛想たっぷりに出迎えてくれる。チームのみんなから可愛がられていることがわかる。広々としたキッチンもあってここにはなぜか生のカリフラワーがぽつんと置かれていた。ゆったりとした気分で調理ができそう。
壁にはこれまでに一緒に作品をつくってきた仲間たちとのチェキが飾られていて、人とのつながりを大切にしているのだろう。いずれも日本の映画編集スタジオからはちょっと考えられない、リベラルな気風に満ちた空間だった。
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アグニェシュカ監督を中心とした強くてしなやかなチーム。彼女に限らず女性たちがハツラツと働いていて、そのエネルギーに満ちた仕事現場は率直に格好良かった。(アグニェシュカ監督の赤いadidasのトラックジャケットの似合いっぷりもピカイチでした)今まで様々な性質の仕事場を取材してきたけれど、まず感じたことのない空気の現場。女性が活躍できる編集部を自分もつくりたいとストレートに思ったのだ。
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同時に今回痛感したのは、自分が無自覚のうちに影響を受けてきたものが、アメリカや西側ヨーロッパの文化に偏っていたという事実である。中東欧、ことポーランドの文化は全く摂取できていなかった。
旧共産圏として90年代初頭まで閉ざされていた歴史を背負いながら、現在は外へ、前へと伸びようとする熱が街全体に充満している。それらは自分が今まで通っていない性質のものだから、どれも新鮮なものとして目に映る。この国の印象が確実に塗り替えられながら、同時に自分自身がアップデートされていく感覚に、ただひたすら興奮していた。
Photo by Yayoi Arimoto(写真 在本彌生)
Translation & Coordination by Anna Omi(通訳・コーディネート 小見アンナ)
Cooperation by Poland Travel(協力 ポーランド政府観光局)

- Associate Editor of RiCE
成田 峻平 / Shunpei Narita
『RiCE』副編集長。1997年宮城県仙台市生まれ。Media Surf Communicationsを経て、ライスプレス入社。