クラッシュカレーの旅 第10回

百聞も百見も、一叩に如かず/宮城・石臼・叩き旅


Jinsuke MizunoJinsuke Mizuno  / Jun 26, 2025

百聞は一見に如かず、というけれど、確かにその通りだと思う。タイにアンシラーという海沿いの町があり、そこで作られる石臼が最高級品だという噂は聞いていた。海底に眠る岩を原料にしていて、貴重価値が高く、イミテーションができるほどだとも聞いていた。初めてアンシラーを訪れたとき、白い石臼を目にして僕はひとめぼれをしたのである。

興奮のあまり、ちょっとサイズが大きすぎる石臼を買ってしまったかもしれない。ずしりと重く、あれをどうやって持って帰ってきたのか覚えていない。値段は日本円で36000円もした。しげしげと眺めては叩き、叩いてはまた眺めた。随分と周囲に自慢し倒した。色が白いというだけで珍しい上に、フォルムが美しく、滑りにくいから叩きやすい。

二度目にアンシラーを訪れたとき、同じ工房に行った。一見ではなく二見目である。さすがにひとめぼれしたあの時に比べればテンションが下がるかと思いきや、再会時も興奮はおさまらず、小さめでちょうどいいサイズの石臼を今度は二台も買ってしまったのである。一見して一台を買い、二見して二台を買うようでは、この先あの町を訪れるのは用心しなければならない。

当然のごとく、帰国後は見せびらかしたくなる。宮城県でカレーの学校を行うことになったとき、僕は石臼を持ち込んだ。90分の授業を6コマ行う中で料理のデモンストレーションをできるのは、1コマのみ。そこにクラッシュカレークッキングをねじ込んだのは、職権乱用ではない。まだ見ぬカレーの姿を受講生のみなさんに体験してもらおうという狙いからである(ホントである)。

教卓に置いたアンシラーの石臼がまばゆいばかりに輝いている。百聞どころかおそらく一聞もしていないであろう受講生たちは、未確認飛行物体を見るかのようにしげしげと石臼を眺めている。なんといってもタイ最高級石臼なのだから、料理で小細工を施す必要はない。スタンダードな材料で王道といえる「赤のクラッシュカレー」を作った。

焼酎に漬け込んで辛味を抜いた赤唐辛子にレモングラスやカー、にんにくなどを叩いていく。まもなく僕は石臼の前から退き、座を空けた。受講者たちは代わる代わる石臼の前に立ち、カン! カン! カン! と叩く。その都度、感嘆の声が漏れた。百見は一叩に如かず、というやつである。聞くよりも見るよりも叩くのが一番。臼の中から生まれ出る鮮烈な香りに誰もが酔いしれた(はずである)。

魅力的な道具というモノは怖いもんで、あっという間に人々を惹きつける。すると、自分がえらいわけでもないくせに所有者であるというだけで鼻が高くなっていくのである。不思議だ。気づけは懸命に叩く受講者たちを「よしよい」と見守り、叩かれる石臼を称える気持ちになっていた。

香り玉を作る際も盛り上がった気持ちは抑えられなかった。ゴムベラを使って丁寧に丸めていく。「別に意味はないんですけどね」と軽く自嘲しながらも美しい球体を作る。鍋にココナッツミルクを入れて加熱する。「ここでココナッツ油を分離させるんですよ」なんて言いながら、鍋を振る。じわじわと透明な油が浮かび上がってくると四方から声が上がった。

さっき丁寧に丸めたばかりの香り玉を加え、即座位につぶしながら炒める。ここで香り玉の香りと味、色味をココナッツ油にじっくり移していくのだ。「見ててくださいね。煮込み始めるとオレンジ色の油がにじみ出てきますから」「ほら!」「おおお!」。きっとあのとき、僕の鼻はおおいに膨らんでいたことだろう。具を加えて煮込み、クラッシュカレーはまもなく完成した。

叩いたときに生まれた鮮烈な香りは、全体になじんでふくよかな香りへと変化している。この不思議な現象がクラッシュカレーの特徴である。宮城のあの場にいたほとんどの人が実感してくれたであろうことがふたつ。

石臼にしか出せない香りがある。

香りは叩いた人にしか届かない。

一度でいいから叩いてみてよ。騙されたと思ってさ。なんてことを言いたくなるのはそのためだ。僕のこのクラッシュカレークッキングを「普及を超えて、もはや布教だ」と表現した人がいた。そんなつもりはない。が、普及でも布教でも構わない。催眠術だっていい。ほーら、あなたはだんだん石臼が欲しくなる。アンシラーが欲しくなる。

体験し、体感することの価値を改めて思い知らせてくれた、宮城の石臼・叩き旅であった。

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