連載「おい神保(おいじんぼ)」 ~サラリーマンランチ紀行~ #9
立喰の名店、ケツネコロッケの魅力
神保町…曰く、古本の街。
曰く、カレー激戦区。
曰く、喫茶店の聖地。
曰く、中華街(チャイナタウン)。
そんな様々な異名を持つ食と活字のシャングリラ、神保町。
とりわけ昼飯については全国津々浦々比較しても頭一つ抜けた選択肢の多さにより、界隈のサラリーマン達の心と胃袋を満たしており、停滞を続ける日本のGDPに対して、神田一帯、午後のGDPは上昇の一途を辿っているとか、いないとか…。そんな神保町で勤続10年となる筆者の昼食雑記が、この「おい神保」である。
――立喰そば。
時間がない時。お金がない時。カロリーを抑えたい時。
二日酔いなどのやむを得ない事由で、一刻も早く体に出汁を入れたい時。
その存在は非常に心強く、昼休みのチャイムが鳴ると同時に立喰そばを昼飯の選択肢に入れるサラリーマンは少なくないだろう。
家の最寄り、会社の最寄り、得意先に向かう乗り換え駅の改札横にお誂え向きに佇むあの一軒。誰しも心に思い浮かべる立喰そばの一軒があるはずだ。
そんな筆者にも贔屓にしている立喰が三軒ほどあるのだが、今日はその中で最も高い頻度で足を運ぶ[豊はる]を紹介する。
[豊はる]は筆者の勤務地・神保町にある立喰そば屋で、「厚肉そば」や「チャーシューそば」など、ガッツリとした肉のタネものが名物の人気店である。お昼時にはいつも十名以上の行列ができているが、十分もすればそばにありつくことができる。
煮たり焼いたりする、手の込んだタネものそばに人気の集まる同店は、そのオペレーション力の高さで立喰としての回転力をキープしたまま、ハイグレードな一杯が味わえる。時間がない中でも手の込んだそばを食べたい時によく利用している。
[豊はる]店内。びっしりと貼られた短冊メニュー。立喰基本の揚げ物系から多彩な肉メニューまで。毎月新作が開発され、しかもその新作が人気であれば月を跨いでレギュラーメニューとして定着していく。積み上げ式にメニューが増えていることも驚きである。
筆者が注文するメニューは主に三つ。
広島産の大ぶりな牡蠣と青唐辛子の刺激、牛すじの旨みがそれらをまとめ、不思議な組み合わせなのに妙にハマってしまう「牡蠣青唐辛子そば」。
牡蠣のシーズンのみ展開されるタネもの。毎年の楽しみである。
レアに仕上がった厚切り牛タンとコシのあるそばのタイマン。
主役同士が口中で殴り合っているうちに友情が芽生え、唯一無二のコンビになっていくストーリーが楽しめる「特上牛タンそば」。
1310円でこの品質の牛タンはなかなかお目にかかれない。
筆者の出身地である岩手県沿岸部のリアス式海岸を丼内に再現したような「三陸そば」。
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夜が飲み会の時は迷わずこれ。低カロリーで腹持ちがいい。そばにめかぶが入るのは、筆者の地元・岩手県宮古市では定番だ。
この三種類を、その日の予定や体調に合わせて注文している。
しかしながら、この三種類はどう食べても美味い。完成されている。
そしてこの連載「おい神保」は、店舗やメニューの紹介というより、食べ方のこだわりを一方的に読者の皆様に押し付けていくというところに主眼を置いている。今回は筆者が他の立喰店でよく注文する「ケツネコロッケそば」について記して記事を締めたい。
皆様は押井守監督の「立喰師列伝」という作品群をご存じだろうか。要するに、立喰形態の飲食店で無銭飲食をする輩を、面白おかしく描いたフィクション作品なのだが、筆者はこの作品に登場する立喰師たちに密かな憧れを抱いている。
その「立喰師列伝」の中に登場する紅一点、「ケツネコロッケのお銀」というキャラクターがいるのだが、筆者はこの、現実では誰も頼まないであろう組み合わせのトッピングを真似して立喰そば屋でよく注文しているのだ。
「ケツネコロッケ」とは、きつねそばにコロッケをトッピングしたものである。原作を忠実に再現するためには、きつねそばを単品で注文した後、追加注文でコロッケを丼に入れてもらう手法を取らねばならないが、食券式前金制の店が多い昨今、そんなまどろっこしいことはできない。
今回は表題店の[豊はる]で「ケツネコロッケ」を手繰ることにした。
ケツネコロッケそばといっても、店によって甘いお揚げを出すところや、コロッケの具が野菜だったり牛肉だったりすることもあり、その味わいは千差万別である。一口食べてその後の戦略方針を決めねばならない。この時の作戦立案の質とスピードに、立喰師の技量が試される。
[豊はる]のケツネコロッケそばのお揚げは、甘味が弱めで豆腐の香りが立つナチュラル系。関東風の甘辛い汁によく合うように計算されている。筆者は卓上の極辛唐辛子をふりかけて、そばと一緒にすするのが好きだ。その間にコロッケを一口。しっとりとしていて身持ちも固い、そば上のタネとして優秀なコロッケである。
これは、長時間汁に浸すことでさらにポテンシャルを上げられると判断し、どん底に沈める。丼は底面にコロッケが土台を作り、その上にきつねそばが載っている状態だ。果たしてこのきつねそばとコロッケをどう合わせるか……。
きつねそばを啜りながら、最終的にはセパレートして食べた方が良いだろうと判断した。ということで、きつねそばをあらかた啜り終え、どん底にコロッケが鎮座している。しっかりと固められた体躯は、汁を吸っても崩れない。おもむろにコロッケに箸を入れ、汁を吸ったそれを口中に運ぶ。
その瞬間、関東風の出汁とコロッケの唯一無二の相性をまざまざと見せつけられる。関西の立喰の出汁では絶対に喧嘩するこの組み合わせ。濃いめのカエシがコロッケの甘みを引き立たせ、カツオ節の鋭い旨みと牛肉コロッケから出る厚みのある旨みが相互に作用し合って、抜群に旨くなっている。
一度コロッケに箸を入れると、身持ちの硬いコロッケもさすがにふやけ始める。こうなったら最後、コロッケをぐしゃぐしゃになるまで思い切りかき混ぜよう。汁の中でコロッケが跡形もなく溶けたら、それは和風温製ビシソワーズ。麺のなくなった最後の汁がリッチなご馳走スープに変貌する、立喰師のスペシャリテである。ぜひお試しを。

- Office worker
山口航平 / Kohei Yamaguchi
主に神保町で昼飯を気ままに楽しむ会社員。年間約200回の昼飯中に思ったことなどを自由に綴る。趣味はナポリタンを作ること。時々ナポリタン屋としてポップアップも。
IG @ykk05017