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食事は選択の連続だ?! 前編


Yohei MatsuzakiYohei Matsuzaki  / Nov 9, 2018

「人生は選択の連続だ」とシェイクスピアは言った。日々の小さな決断からその後の生き方を左右するような大きな決断まで日常は決断で溢れている。どんな決断をするときでもその行為に対して多少なりのストレスやプレッシャーを感じてしまう。

例えば、今日のお昼はどうしよう?と思った時に様々なチョイスを思い浮かべる。何を、何処で、誰と食べようか? この時点で既に決断に迫られている。そしてその日の気分や直感に従ったり、自身の論理的思考によって合理的に食べたいものを決めたとしても、次には”店を決める”という更なる大きな決断が待っている。

店選びでは大きなプレッシャーがかかる。安定を求めるならなんども足を運んだことのある馴染みの、定番の店となるだろう。しかし、最近新しく出来たという店にも行ってみたい、だけど失敗はしたくはないという気持ちもある。ここで葛藤が生まれる、そしてストレスを抱えながら決断を迫られることになる。

ここまでの思索の流れ、かなりデフォルメしていると思うけど、頭の中では、お腹がすいたと思ってからこういったプロセスで考えていると思う。そしてここまでの店選びの思考の中に、選択することについてのトラウマという心理的な要素が多く含まれていることに気づく。

▲ ベトナム・ホイアンにて。店の面構えも選ぶときの重要なポイントだ。

“選択することのトラウマ”というのは色々あるみたいだ。

選択することのトラウマその1、「選択肢の中からベストな選択をしたいというプレッシャー」ベターではなくベスト。ベターであれば多少の妥協も許されるがベストを選ぶとなると大きなプレッシャーが生まれる。

選択することのトラウマその2、「自分が選んだものが他人からどう思われるかという不安。同時に他人の選択に対して興味。」誰かと一緒に行った時に、自分がこの店を選んだことを相手はどう思ってるんだろう、というのもあるし、相手が決めた場合はなんでこの店にしたんだろうという興味もこれにあたる。一人で店に行ったときでさえ、そのあと他の人に、自分の行った店の話をすることでこのトラウマからは逃げ出せない。

選択することのトラウマその3、「そもそもこれを選ぶ責任が自分にあるのかという疑問。「これは俺個人が決めなきゃいけないことなの?」という感情。これは決断することの放棄のようなものか。もう決めたくない!投げ出したい!という心理か。

選択することのトラウマその4、「自分で選んでいるつもりでも、じつは企業のマーケティングなどにより、巧妙に選ばされてるんじゃないかという不安や疑念。」疑心暗鬼。塾考重ねて決断しても実は手の平の上で転がされていたら?という無力感。

▲ ネットで情報が拾える時代とはいえ、海外の屋台などで直感力が試される。

う〜ん、こう書いてみると、実に様々なトラウマに苛まれるこの“選択”という行為は実に厄介だ。そしてそのようなトラウマを乗り越えて店(未訪問の店の場合)を選ぼうとするときの判断基準のベースは一体何に求めればいいのか? その判断基準は知人からの口コミや数値化されたグルメサイト等での評価、もしくは自分の直感に頼ることになるのか。

前者は、(主観的には)具体的な証拠もない事実をベースにしているのに対して、後者は自身の経験則などに加えて自分の本能や直感がベースになっている。直感力(?)が優れている人はこういう場合、勘で入った店が当たりということがよくある。

ただ、自分はそういう能力が乏しいので往々にして知人からの口コミなどに頼ってしまう。店選びの直感力(?)を磨いていきたいとは常々思っているけど、そう簡単に磨けるものでもない、ひたすら経験値を上げていくしかないのかな。

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