
低気圧の日のコーヒーはおいしい 003
仮暮らしの京都、葛切りの中で泳ぎたい
6月のある日、京都で目を覚まし「葛切りを食べに行こう」と思いついた。
梅雨明け前とは思えない、じりじりした日差しが降りそそぐ日だった。
「葛切りや 少し剰(あま)りし 旅の刻」
これは祖父が47年前の6月、京都で詠んだ一句。
わたしの祖父は俳人だった。生前は食べることをこよなく愛し、食にまつわる俳句や文章を多くのこした。祖父がいかに食いしんぼうだったかを語る、とても好きな文章がある。
「私は食通とかグルメとか言われているが、本当はそうではない。食いしんぼうなだけである。しかも、少食なので、食べたいが食べられない。その欲求不満が俳句になり、文章になるというだけである。」
(『草間時彦 食べもの俳句館』 P.72)
祖父はわたしが幼い頃に世を去ってしまったので、その記憶はおぼろげで、晩年に近い姿しか思い出せない。よく覚えているのは、自室の大きな黒革のチェアに腰掛けて、金平糖をつまみながら本を読んでいた姿。けれど、本を通して知る祖父は、記憶よりずっとアクティブなひとだった。全国各地に赴いては、その土地の仲間と集まり、美味しいお酒と食べものに舌鼓を打ちながら、俳句を詠む。豊かな人生の記録が、そこには詰まっていた。
冒頭の俳句には自注がついていた。
「京都四条通りの鍵善。新幹線まであと一時間。もう少し時間があれば、ビールを飲みたいのだが・・・。京都もそろそろ梅雨である。」
(『脚注名句シリーズII-1 草間時彦集 草間文彦編』 P.72)
なんの縁か、わたしもいま、定期的に京都を訪れる生活をおくっている。そして祖父と同じく生粋の「食いしんぼう」であり、俳句こそ詠んでいないけれど、文章を書いている。
その偶然を面白く感じて、この俳句を読んだときから「今度京都へ行ったら、あの葛切りを食べに行こう」とぼんやり計画していた。それは「故人を偲ぶ」といったしんみりしたムードではなく、もっと心浮き立つ気持ち。たとえば食通の友人に「美味しいお店を教えて!」と連絡するように、もうここにいない「食いしんぼう」の先輩から、時を超えた手紙を受け取るような感覚。そういうのに、わたしはロマンを感じるのだ。
そういうことで、その日わたしは「鍵善良房 本店」へ向かった。炎天下の四条通り、日差しから逃げるように、涼しげなブルーの暖簾をくぐる。席についてすぐ、迷うことなく葛切りを注文した。熱のこもった身体は、つめたい甘味をもとめていた。
「黒蜜と白蜜、どちらにしますか。」
そう尋ねられて、白蜜があることを知る。白蜜に浮かぶ葛切り、それはさぞ涼しげだろう。見てみたい。でもやっぱり、葛切りはたっぷりの黒蜜と一緒に食べたい気もする。数秒考えて、結局は黒蜜にした。
しばらくして、葛切りが運ばれてきた。
二段になった漆塗の器の上段には、黒蜜が入ったお椀。そして下段には、たっぷりの氷水に揺れる葛切り。黒い漆桶の中、ふるふると透明な葛切りが揺れていた。それがあまりにも涼しげで、つい「この中で泳げたら気持ちいいだろうなあ」などと考える。小人になって、桶の中を泳いだり、ひんやりした葛切りの上に寝そべって、ぷかぷか漂いたい。
揺れる葛切りを箸で掬い上げ、黒蜜にそっとくぐらせ、口に運ぶ。ひんやり、つるんとした食感と、黒糖の甘い香り。食べ進めるほどに、すうっと汗がひいていった。たしかにこれは夏の季語だ。
ちょっとしたおやつ、くらいに思っていたのに、食べ終わると、しっかり満腹になっていた。祖父はこれを、新幹線に乗る一時間前に食べ始めたのだろうか。だとしたら、だいぶタイトなスケジュールである。旅の最後まで美味しいものを食べようとする姿勢に、あらためて食いしんぼう精神を感じた。
「時間のある限りたのしみたい」という気持ちは、わたしも同じ。
食べたいものも、見たいものも、ここには多すぎて、短い滞在ではとても味わい尽くせない。けれど、限られた時間だからこそ「今日はここに」「明日はここに」と、ちいさな冒険心が日々湧いてくる良さもある。
旅と呼ぶには頻繁過ぎるし、暮らしと呼ぶには時間が足りない。わたしはいま、旅と暮らしの間をゆらゆら揺れているところ。いまだから感じられること、いまだから味わえる「はじめての味」「はじめての店」を、目一杯たのしみたいと思っている。
祖父の著書の中に、こんな文章を見つけた。
「デザートになったとき、句会をやろうということになった。(中略)<四条より三条くらき師走かな>という句に、私が<四条より三条くらき時雨かな>がよいと言うと、東京勢は賛成したが、京都組は「師走かな」の方がよいと妥協しなかった。旅人と土地の人の感覚の違いだ。」
(『淡酒亭断片帖』 P107)
別の土地で暮らすひとと俳句を通して繋がり、その感覚の違いも、俳句を通してたのしむ。その時間の傍らにはいつも美味しいものがある。素敵な人生だったのだな、と思った。
お店を出る前、店頭のショーケースで「水無月」を見つけて購入した。三角形のういろうに小豆がのった和菓子。京都では6月になると、残り半年の無病息災を願って水無月を食べる風習があることも、京都を訪れるようになって知った。今夜は食後に水無月を食べようと思いながら、店を出る。
時刻は15時。近くの書店で本を買って、喫茶店に入ろうかな。夕方になったら、鴨川を歩いて、夕陽を見れたらいいな。夕飯はカレーにしよう。明日の昼には、東京に帰る新幹線に乗る予定だ。祖父の「新幹線まであと一時間」よりは、たっぷり時間がある。明日はなにをしよう、なにを食べよう。そんなことを考えながら、四条通りを歩き始めた。
- Office worker・Essayist
草間 柚佳 / Yuka Kusama
神奈川県逗子市出身。都内の会社員。お蕎麦とアイスと犬が好き。2024年、日記本『すくいあげる日』を個人制作。noteで日記やエッセイを更新中。
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