サブカル酒 Sub-Cul-Shu

004「『美味い』と『分からない』の狭間にあるペアリング」


Shion KakizakiShion Kakizaki  / Oct 9, 2025

僕のレストランであるサモトラは、2025年の前半ずっと冷温停止中であった。理由はいろいろあるが、ざっくり言ってしまうと、『資本の風景』の中で僕がバーンアウトしてしまったということだ。全責任はもちろんこちら側にある。が、その責任をすべて引き受けてその風景の中に自分の旗をうち立てられるほどの剛の者ではなかったということだ。

食事が食べられなくなり、酒が飲めなくなり、運動ができなくなり、キノコ探しに公園に行けなくなり、飼っている生き物の世話ができなくなり、自転車のメンテができなくなり、本を読めなくなり、文章を書けなくなった。インプットもアウトプットも気晴らしもできなくなった。さすがにまずいと思って医者にかかり、セカンドオピニオンを含め何度か診察してもらい、立派な病名がついた。2019年くらいから病気ではあったらしい。なるほどそう言われたら合点がいく。定期健診大事。 

医者は長期の入院と療養を強く勧めてきたが、零細自営業者にそんな余裕などない。どうであれ生活はしなければならない。どうにかして死なずに済む方法を見つけて、身体と心を元の状態に戻すための時間を稼がなければならない。そして自分の内なる情熱と、未来への希望を取り戻さなくてはならない。そこで僕は自分の店を休み、GAFAMの手先として、テック系肉体労働者として働きながら時間とお金を稼ぎつつ肉体のリカバリーを目指すことにした。結果、6月の終わりまでには日高山脈縦走ができるくらいの体力を獲得した。と同時に、病気を直視せずスルーしながらそれと共存する方法を学び始めた。

7月には運よくポップアップが決まった。九段下に今秋オープンするレストラン『SETO』の脊戸シェフとのそれは、僕が『ペアリング』という仕事の楽しさを思い出すには充分すぎる時間だった。彼の料理は本物の『創作料理』だ。味や香りが、いわば音楽における音、絵画における色のように抽象概念化され、『土着文化』や『生産者の想い』といった文脈や前提条件の助けを借りずに皿の上に緻密に積み重ねられている。その考え方は、僕が10年かけて到達したドリンクペアリングに対する考え方にとても近いように感じられたのだ。

このポップアップは人気が出て8月末まで延長したのだが、二つのペアリングについては二か月間変えることなく提供した。一つは誰もが美味しいと感じるど真ん中のペアリング(もちろん使うのは誰も知らないサブカルワインだ)、もう一つはサモトラらしく人を食ったような、「美味い」と「分からない」の狭間にあるペアリングだ。

後者のそれは、フレンチカリブの伝説的なアグリコールラムである『ペール・ラバ・ブラン』(買収直前の最終出荷分)に、熱海の山で自家採取してきたヤブニッケイ(在来シナモン)の葉を浸漬したもの。それを水割りにして、クロモジで炊いたスッポンの雑炊に合わせた。スッポンの雑炊はコースの〆の一皿で、それ自体で完成された美味しさがある。つまりペアリングはなくても成立するし、その方が食事の終わり方として期待されている。そこに敢えて事件性のあるアナザーストーリーをでっちあげてみたのだ。

ヤブニッケイの葉には、強いテレピン油様の香りがある。それとクロモジのローズウッド的な香りが合うことは経験的に知っていた。そこに熟成したフレンチカリブのアグリコールラムブランに特有のナツメグ様の酸化した脂肪酸の香りがレイヤーとして面白いことも、それが同じC4 植物であるイネの実(米)の香りとエキゾチックに反応することも経験済みだった。あとはその日の天候とお客様に合わせてアルコール度数を調整すればよい。

同調するわけでもなく切っていく感じでもない。既存のペアリングセオリーには全く当てはまらない酒の当て方。もはやペアリングじゃなくハプニングなやつ。お酒は全部飲んでもらわなくてよいし、何なら合うと思ってもらわなくてもいいかもしれない。ただ、これが僕の考える、世界最先端のペアリングだ。それでも一部の常連さんや尊敬する同業者諸氏にきっちりぶっ刺さっていたのは良かった。 

サモトラを始めた当初、僕はただの酒ギークだった。過小評価されているジャンルのレアなレーベルや古酒を探して地方の酒屋や電脳空間を逍遥した。そのレアさとかその土着性とかナチュラルさとかを前面に押し出してペアリングし、提供した(マジで鬱陶しいよな)。そして病気になりお酒が飲めなくなった時、メジャーやコンヴェンショナルに中指を立てていたそのオールドパンキッシュな姿勢こそが『資本の風景』を裏書きする行為だったのかもしれないと思い至った。お酒にしろお茶にしろ、僕はその商品の「本質的でナチュラルでエシカルでノスタルジックでちょっぴりスピリチュアルな物語」を売っているわけではなかった。その飲み物が持つ味や香りや粘性といった抽象概念を用いて、料理とともに味覚体験をした人が好き勝手に感じるサムシングを売っていたのだ。サムシングは、キノコのように人知れずどこにでも発生する。僕はキノコの発生条件を整えることはできるが、生えたキノコがその人にとって好ましいかどうかまでは考えない。そもそも毒菌かもしれない()。けどそこにしか生えないレア菌であることは確かだ。

買収前のペール・ラバの伝説(ラム好きには既知のインディーズなエピソードの数々)に酔っていた昔の僕は、悩んで病んだ挙句、貴重なオールドボトルに葉っぱを漬け込んでしまった今の僕を見てどう思うだろう?今の僕は、論理的にではなく身体的にこういうペアリングを思いつく自分が結構好きだし、誰も知らないけど生中がめちゃ美味いチェーン居酒屋の支店で、おでんセットをつつきながらサムシングを見出せるようになった自分も好きなのだが。

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