
おいしい裏話
「執念」(RiCE No.43に寄せて)
その店はだいぶシャッター街っぽくなってしまった大きな商店街の一角にあり、ランチしかやっていない。そして常に満席だ。
定食が大人気だが、手前の鮮魚店でお刺身を買って足したりすることができる。
いつも活気があり、お店の人たちはてきぱき動いている。こういう店よ永遠なれ、と思う。街の生命に確実に力を与えている。
一度、胃カメラの直後にランチに行ってしまったことがある。なにがなんでもお刺身を食べてやる!という私の執念により、よく噛みながら食べる新鮮な刺し盛りとおいしい米がしみるしみる(ほんとうにしみていたのかもしれないけれど)。お味噌汁もゆっくり飲むといっそうおいしい。
そういうときの、ゆっくり食べている私は多少勢いに欠けるかもしれないが、いつよりも深く味わっている。
前の日の絶食からのいきなりの刺身なので、ちゃんと用心しているのだ。豪快なだけが食いしん坊ではないのだ。
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞し小説家デビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞、2022年8月『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、海外での受賞も多数。近著に『ヨシモトオノ』がある。
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