東京から長崎県東彼杵へ移転

[チリムーロ]が目指す、焼菓子店のその先へ


RiCE.pressRiCE.press  / Aug 4, 2026

6月いっぱいで東京での営業は終了

代官山と渋谷の間、並木橋を渡った先に佇む一軒の小さな焼菓子店[チリムーロ]。オープン以来、スパイスやリキュールを巧みに使った焼菓子で多くの人を魅了してきた。そんな[チリムーロ]が、20266月いっぱいで東京での営業を終え、長崎県東彼杵への移転を発表した。

「東京を離れるなんて、自分でも思っていませんでした」

そう話す店主・竹下千里さんの表情は、不思議と晴れやかだった。

東京から地方への気持ちの変化

東京の店舗は、以前から再開発によって取り壊されることが決まっていた。そのため、いつか移転しなければならないことは分かっていたという。

 34年前までは、次も東京で探そうと思っていました。まさか自分が地方へ行くなんて、全然考えてなかったんです」

 しかし、年齢を重ねるにつれ、竹下さんの気持ちにも変化が訪れる。

「東京はもう十分やったかな、という感覚があって。ものも情報もたくさんあって便利だけど、それにちょっと疲れてきたところもありました。違う土地で暮らして、働いてみたいという気持ちが、自然と出てきたんです」

東京では、一人で菓子を作り続けながら店を切り盛りしてきた。営業日を減らすなど試行錯誤はしてみたが、店を続ける以上、どうしても一定量を作り、売ることは欠かせない。

「本当は、もっとお客さんと話しをしたかったんです。でも東京で店を続けることを考えると、ある程度たくさん作って販売する必要があって、そのためにもテイクアウトのみで営業していました。そうすると、お客さんも買ったらすぐに帰るので、ゆっくり話したり、過ごしてもらったりする時間は、どうしてもつくりにくかったですね」

竹下さんは、店を辞めたいわけではない。むしろ、その逆だった。

 「体が許す限りは続けたいと思っています。だからこそ、自分が続けられる場所を探したかったのかもしれないです」

行列ができるほどの人気と葛藤

今年で15年を迎える[チリムーロ]だが、「気づいたら15年経っていました」と竹下さんは笑う。一日一日の営業を積み重ねるうちに、いつの間にか15年という時間が流れていた。振り返れば長い年月だが、本人にとっては、あまりにも自然に過ぎていった時間だった。

開店から数年経つとさまざまなメディアでも取り上げられるようになり瞬く間に人気店に。焼菓子を求める長い列ができ、毎日のように売り切れる。店にとってはありがたい状況だったが、その忙しさは竹下さんの中に、別の感情も生み出していた。

「売れるのは本当にありがたかったです。でも毎日、ロボットみたいに作って、売って、一日が終わる。その生活が23年続いた時期があって。お金は入るけど、全然心が満たされていなかったんですよね。何をやっているんだろうって思うこともありました」

その後、コロナ禍を経て客足が落ち着くと、店にも少しずつ余白が戻ってきた。その頃から、これからの働き方を考えるようになったという。

別れを惜しむ人であふれた2週間

そしてインスタグラムで東京での営業終了を発表したのは、閉店のおよそ2週間半前。あまりに突然の知らせに、多くの人が驚いた。

「閉店を残念がってくださる方が、本当にたくさんいました。投稿を見て、10年ぶりに来てくださるような方も多くて。それに移転先が長崎っていうことに驚かれる方も多かったですね。遠いって(笑)」

最後の2週間は、店の前には再び長い列ができた。2時間近く待つ人もいて、用意した菓子を買えないまま帰る人も少なくなかった。

「昔、一番忙しかった頃に戻ったみたいでした。ありがたい気持ちはもちろんあるんですけど、長時間並んでくださったのに買えない方もいて、申し訳ない気持ちもありました。一人で作れる量には限界があるので、最後は結構複雑でしたね」

それでも、店を訪れた常連客の中には、涙を流して別れを惜しむ人もいた。

「それだけ皆さんの日常の中に私の焼菓子を組み込んでくださっていたんだと改めて思いました。本当に感謝しかないです」

移転を決意した理想の物件との出会い

移転先となった東彼杵を教えてくれたのは、先にその町へ移住していた友人だった。日本各地を旅し、その末に東彼杵を気に入って暮らし始めたその友人に案内され、竹下さんも初めて町を訪れた。

「空いている物件や個人店を案内してもらって、町を少し回ったんです。その時に、なんだかすごくいいなって思っちゃったんですよね」

竹下さんは長崎県諫早市の生まれ。幼い頃に愛知県へ移ったため、長崎で育ったわけではないが、祖父母の家が諫早にあり、帰省で訪れる機会は多かった。

「生まれただけではあるんですけど、肌馴染みとして長崎は合う場所だったのかもしれません。東彼杵にはそれまで行ったことがなかったんですけど、一度訪れて、もうこの辺りで探そうという気持ちになりました」

それから約2年間、物件を探し続けた。そして東京での閉店を発表する直前、ネットで一軒の物件を見つけた。

「見た瞬間に、これはいいかもしれない!って、直感的に思ったんです。気になったらすぐ見たくなっちゃうので、3日後ぐらいの飛行機を取って、日帰りで内見に行きました。それで、もう決めちゃいました。これを逃したら、後悔するかもしれないと思ったんです」

大村湾から徒歩2分ほど。彼杵駅からも歩いて5分ほどで、スーパーも徒歩圏内にある。およそ178平方メートルの広い平屋が2棟あり、店舗兼住居として使うことができるという。

「広すぎるかなとは思ったんですけど、家賃や立地、自由に改装できることも含めて、いろんな意味で自分に合っていました。私は車を運転できないし、今のところ免許を取るつもりもないので、車なしでも生活できる場所かどうかもすごく重要だったんです」

物件が決まったのは、移転発表のわずか1週間前。だから、閉店の知らせも突然となった。しかし、その決断の背景にはこれまで考え続けてきた時間と、「ここしかない」という直感があったのだ。

東彼杵で目指すは喫茶チリムーロ!?

東彼杵での店は、東京の[チリムーロ]とは違う姿になりそうだ。東京の店舗の内装は、友人が手がけたもので、竹下さん自身はあまり手を加えず、その世界観を生かしてきた。だからこそ次は、自分の好きなものをより自由に詰め込みたいと考えている。

 「喫茶店みたいな、ちょっと懐かしい雰囲気が好きなんです。おしゃれすぎるのは嫌で、かっこいい店にもしたくない。手作り感や温かみがあって、少し懐かしい感じ。あんまりダサくはならないようにしたいですけど(笑)、かっこよくないを目指したいんです」

店名も、これまでのローマ字から「チリムーロ」というカナ表記に変えることを考えている。ヴィンテージのテーブルや椅子を置き、カウンターも設けたい。本が好きな竹下さんらしく、店内で本の貸し出しをする構想もある。

そして、念願のイートインも始める。

 「東京ではテイクアウトだけだったので、次の店では、もう少しゆっくり過ごせる場所にしたいんです。本を読んだり、話をしたり。自分の趣味も入れながら、いろんな人と関われたらいいなと思っています」

メニューは焼菓子に加えて、スープとパン、トーストなどの軽食も出したいという。

 「スープを作るのが好きなんです。野菜を多めのスープとパンとか。年齢を重ねて、普段食べたいものも少し変わってきたので、そういう軽食も出したいですね」

もちろん、東京で作ってきたケーキもイートインで味わえるようにする。さらに、東彼杵の特産であるそのぎ茶を使った菓子や、スパイスを効かせたチャイ、コーヒーなど、東京ではできなかった新しいメニューも構想している。まだ形になっていないことも多いが、竹下さんの言葉からは、これから始まる店への楽しさが伝わってくる。

12月のオープンを目指して準備中

東京での営業が終わる頃には、東彼杵から店を訪ねてくる人も現れた。そしてインスタグラムには、東彼杵をはじめ九州各地から歓迎のコメントが寄せられたという。

「全然知らない方たちから『行きます』『待っています』というコメントが一気に来て、びっくりしました。すごくウェルカムな雰囲気を感じていて、ありがたいです」

一方で、竹下さん自身は東京で暮らした時間が長く、土地のことも、食材のことも、まだ分からないことばかりだ。

「卵や乳製品も、できれば地元のものを使いたいです。東京で使っていたものが向こうで手に入るとは限らないので、一から探さなきゃいけない。東彼杵の方に教えていただきたいし、いろいろ紹介してもらえたら嬉しいです。お店ができたら、地元のことやおすすめの場所も、お客さんと話しながら教えてもらいたいですね」

東彼杵で目指すのは、焼菓子店というよりも、どこか懐かしい空気が流れる喫茶店のような場所だ。焼菓子や軽食を味わい、本を手に取り、店主や地元の人と言葉を交わしながら、ゆっくりと時間を過ごせる店。東京では叶えきれなかった時間の流れを、この町で育てようとしている。

現在は12月頃のオープンを目指して準備を進めている。店づくりやメニューの構想、地元の食材探しなど、やるべきことは山積みだ。

「今は寂しいというより、次に向けてやることや決めることが多すぎて、それどころじゃないんです(笑)」

そう笑う竹下さんの表情から伝わってきたのは、東京を離れる寂しさではなく、新しい暮らしと店づくりへの期待だった。

東京で15年積み重ねてきた経験を携えながらも、その先にあるのは東京の店を再現することではない。東彼杵という土地の風土や人、食材に教わりながら、大村湾の穏やかな景色のそばで、竹下さんはまた一日一日を積み重ねながら、この町だからこそ生まれる新しい[チリムーロ]を少しずつ形にしていくのだろう。

文 阿久沢慎吾 Text by Shingo Akuzawa

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