連載「おい神保(おいじんぼ)」 ~サラリーマンランチ紀行~ #10
ケガレ無き白米 銀シャリの魅力
神保町…曰く、古本の街。
曰く、カレー激戦区。
曰く、喫茶店の聖地。
曰く、中華街(チャイナタウン)。
そんな様々な異名を持つ食と活字のシャングリラ、神保町。
とりわけ昼飯については全国津々浦々比較しても頭一つ抜けた選択肢の多さにより、界隈のサラリーマン達の心と胃袋を満たしており、停滞を続ける日本のGDPに対して、神田一帯、午後のGDPは上昇の一途を辿っているとか、いないとか…。そんな神保町で勤続10年となる筆者の昼食雑記が、この「おい神保」である。
鮨屋が昼営業で出しているメニューと聞いて、何を想像するだろうか。
海鮮丼や、夜の鮨コースをディフュージョンラインに落とし込んだような鮨10カンセットなど、予算は概ね3000円といったところで、日常的に食べる昼メシにはちと重い品物が思い浮かぶ。
観光地であればハレのランチとして一定の需要が見込める良いメニューだと思うのだが、この殺伐としたビジネス古書店街・神保町においては、「早い、安い、美味い」の吉野家的三原則が求められるのが常であり、特に筆者のような、ランチに独り身で行動することを好む昼の隠者には、その傾向が強い。
今回はその条件を満たした稀有な鮨屋、[ひげ勘]を紹介する。
昼のお品書きは主に4種の定食となっているが、[ひげ勘]と言えば、なんと言っても「アジのたたき」である。
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注文から着盆まで1分を切る瞬着配膳。ファストフード店も顔負けの、神保町で1、2を争うスピード給仕であることから、多忙を極めるであろう界隈の雑誌編集者と見受けるサラリーマンが多いのも頷ける早業だ。
盆上には、刻まれたアジの上におろししょうがと浅葱というシンプルな構成の「たたき」と、新香にしらすおろし、並盛りでもこんもりと装われた白飯に、しじみの味噌汁。壮観である。
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この定食、並でも白飯の量が多いため、いつもの感覚でライスマネジメントしながら食べ進めていくと、メシの「タネ」切れを起こしてしまうことがままあり、特に男性においては、その経験から「たたき」を大盛りで頼み、タネ切れを回避する傾向があるのだが、筆者からすればその手は悪手であると言わざるを得ない。
また、この手の注文をした際によく見る浮き足だった「食い筋」として、「たたき」を白飯の上に載せ、丼飯の様相でかき込むという一連の流れがあるのだが、これをとっても悪手としか言いようのない悪趣である。
筆者は、この定食の真の楽しみは白飯の美味さにあると思っている。
鮨屋の昼定食と聞くと、メインは魚だと認識するのは自然な解釈であるが、[ひげ勘]の場合、アジを主役と解釈するのは完全なるミスリードである。
盆上のすべては、白飯を純白に輝かせる舞台装置に過ぎないのだ。以上を踏まえたうえで、筆者が推奨するアジのたたきの真の食い筋を紹介したい。
まず下拵えとして、前日に飲酒をしよう。少々の深酒が好ましい。
昼飯の選択肢として脂っこいものが想像できないメンタリティに調整するのだ。筆者の塩梅だと、深夜2時頃まで飲むと、昼の11時頃にベストコンディションを迎える。
入店し着席したら、「アジのたたき定食」を注文するのだが、アジではなく白飯のみを大盛りとする。
先ほども申し上げた通り、この定食においてアジは白飯の美味しさを装飾する装置に過ぎないからだ。それほどまでに、[ひげ勘]の白飯は美味いのだ。銀のように輝く舎利、文字通りの銀シャリと言えるシロモノである。
前述した通り、並盛でさえ普通に食べ進めると途中でアジがなくなってしまう盆上相関図で、銀シャリを大盛りにしてしまうと、どんなエグゼクティブ・ライスマネジャーであってもメシのタネ切れは必至だ。しかしながら、そんなことはまったくの無問題。この注文の真の狙いは、メシのタネ切れを「確実に」起こすことにあるからだ。
注文すると瞬着配膳による秒速での給仕がなされる。その刹那が、最初で最後のほっと一息。初手のしじみ汁で鼻腔に残ったアルコールをマスキングする。この一口のために、前日の飲酒努力があるわけだ。
飲酒後のしじみ汁は砂漠に現れたオアシス。前日の酒が深ければ深いほど美味い。
一息ついた後、もう休む暇はない。アジが新鮮なうちに「たたき」を完成させるのだ。
アジに醤油をかけ、薬味とともにひたすら混ぜる。このとき、お店が配慮的に置いてある減塩醤油は使わぬよう注意が必要だ。減塩特有のうまみが、たたきの味を濁らせてしまう。血圧を気にしない人は、気持ち多めに醤油を垂らすとよい。体は塩分を欲している状態だ。
ピンク色のアジすべてが茶色い袈裟をまとったら喫食の合図。
卵大ほどの銀シャリをかき込み咀嚼し、甘味が出たところで、小豆大ほどのアジを口中に放り込むのだ。このとき、銀シャリの上にアジをあらかじめ載せたうえで口に運んではならない。シャリの熱で新鮮なアジが気抜けしてしまうし、何よりせっかくの光り輝く銀シャリが袈裟の色で茶色くくすんでしまう。この定食を美味く食べ切るには、銀シャリは常にニュートラルな状態を保っていなければならない。なぜなら、この定食は銀シャリが主役だからだ。アジを食べ尽くしてからが本番である。
優秀なライスマネジャーであれば、おそらくこの時点であと5分の1程度の銀シャリが残っている状態だ。そこから、口中に残ったアジの残滓と、あらかじめ取っておいた新香で銀シャリを食べ進めていく。
仄かに残るアジの残像が、より銀シャリの甘味を引き出す。硬めに粒立った、[ひげ勘]の銀シャリ本来の食感をこの時に味わうことができるのだ。
醤油の袈裟で汚れた白米であると、この最後の銀シャリに到達することは努努かなわない。その姿はまさに、鎧を脱ぎ捨てた状態のシルバーチャリオッツ。さながらシルバーシャリオッツとでも言うべきか……。
ぜひお試しあれ。
※シルバーチャリオッツとは「ジョジョの奇妙な冒険」に登場するスタンドの名前である。銀色の甲冑を身にまとっており、その装甲をパージした姿では、自身をシルバーシャリオッツと名乗っている。

- Office worker
山口航平 / Kohei Yamaguchi
主に神保町で昼飯を気ままに楽しむ会社員。年間約200回の昼飯中に思ったことなどを自由に綴る。趣味はナポリタンを作ること。時々ナポリタン屋としてポップアップも。
IG @ykk05017