連載「タコスの居場所つくり」#2

外国人が「こうあってほしい」と願う日本
 —— そして、実際の日本


Marco GarciaMarco Garcia  / Feb 2, 2026

少し前、 メキシコシティでレストランを複数経営する知人からこんな相談を受けた。「日本らしい、 本物の日本料理店をプロデュースしてほしい」と。
話題に上がったのは、 解体前の築地市場のカオスな空気感、浅草や上野の裏路地で酔っぱらいが行き交う夜、 ネオン看板と湯気。 海外では、静かでミニマルな“職人の日本”ではなく、 もっと大衆的でカジュアルな日本像が求められている。
最初は新鮮で面白い視点だと思った。しかし話を進めるうちに違和感が強くなり、その核心に気づいた。「日本そのもの」の話ではなく、 外国人が“こうであってほしい”と願う、ある種のファンタジーとして語られているのだ。

ファンタジー自体は否定しない

ファンタジーが問題なのではない。パリで話題の築地モチーフのラーメン店のように、演出的な表現が豊富であっても、それが成立しているのは演出の裏に深い敬意と信念があるからだ。ギミック自体より、それを「現実だ」と主張する態度こそが問題なのである。

実際の日本は、地味で説明が少ない

“日本そのまま”は、たいていロマンチックではない。蛍光灯の下のラミネートメニュー、プラスチック椅子。見た目は地味でも、味は確かな料理。昔ながらの町中華や定食屋のように、一品一技法を何十年も繰り返すことに価値がある。接客は礼儀正しいが、説明が多いわけではない。分からなければ、そこまでだ。
表に見えるカジュアルさの裏には、厳格なルールと秩序がある。例えばゴールデン街の雑然とした風景は自由の象徴ではなく、見えない規範に従う空間の結果なのだ。

海外では「食材の産地」が日本性の代名詞になる

日本料理が海外に出ると、しばしば「どの日本食材を輸入するか」が“正統性”の証として語られる。豊洲の魚、北海道の貝、和牛――それらが日本らしさの象徴として扱われる。だが本来の日本文化は、その土地の素材を季節ごとに磨き上げることから成立してきた。それゆえ、現地の素材に日本の方法論を適用した方が、むしろ“日本らしさ”を体現し得るのである。

大衆的な日本の方が、実は難しい

「カジュアルな日本は簡単」という誤解がある。高級料理では価格や儀式がクッションになるが、定食や居酒屋料理ではごまかしが効かない。シンプルであるほど、ズレは明確に露呈する。

これは日本だけの話ではない

同じ現象は逆方向にも起きている。 日本にある多くのメキシコ料理店も、輸入ビールのボトルや派手な装飾で“わかりやすい”メキシコ性を演出する。それはリアルなメキシコではないかもしれないが、多くの人はそれを楽しんでいる。単純化が悪いわけではない。だが、その簡略化されたイメージを「現実だ」と思い込むことが危険なのである。
文化が移動すれば、翻訳と省略は避けられない。ただし、それを自覚しているかどうかで、誠実さの度合いは大きく変わる。

本当のリスク

今回、 疑似日本レストランの可能性自体が問題なのではない。 問題は、日本が「考え方」ではなく「衣装」になってしまうことだ。

誠実な道

冷凍唐揚げや即席味噌汁を使いながらも都市型居酒屋として成立させることも、現代日本の一側面だ。 また、現地の素材や季節を丁寧に扱い時間をかけて構築する方法も正当だ。 ただし――この二つを同一視するのは間違いである。
長く日本にいる自身の経験から言えば、日本はもっと丁寧に扱われるべきだ。 真剣に向き合い、日本料理を真面目に作ろうとする人々の姿を思えば、この点はなおさらである。 結局、もっとも重要なのは、その場に真正なリスペクトがあるかどうかだ。

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