
Gluten is Free!? 小麦は自由だ!! 第2回
[LA CREPERIE]&[Saint Denis Cafe]
第2回目となる「Gluten is Free」は念願の「クレープ」を取り上げます。“まだ2回目なのに念願って?”と気づいたあなた、鋭いですね。この連載はまだ2回目ですが、これまで8年ほどパンの連載を続けてきた中で、何度も“パンとして”クレープを紹介してしまおうかと思ったほど、私クレープが大好きなのです。
待望の機会に取材へ伺ったのは、三鷹にある[LA CREPERIE][Saint Denis Cafe]。これまで封印してきたのは今回の機会のためだったのかもと思うくらい、美味しさの向こう側、とびっきり素敵なお話を聞くことができました。
閑静な住宅街にあらわれる落ち着いたピンク色とクリーム色の外観。お店の前の角を曲がったらほんのり漂ってくる甘い香りに、キタキタ!と体温が上がります。お客様みんなワクワクした表情でこの角を曲がるんだろうなぁ。
ビストロカフェの[Saint Denis Cafe]、クレープスタンドの[LA CREPERIE]は隣り合っていて厨房で繋がっています。
テイクアウト専門の[LA CREPERIE]のクレープは、[Saint Denis Cafe]の店内でもいただけるのが嬉しい。大きくてパリパリ食感が絶品のクレープはなんと400円でいただけるのです。値段も味もどこにも出会ったことのないクレープ。
このクレープを生み出したオーナーの矢作さんに話を伺いました。人に歴史ありとはまさにこのこと。人だけじゃない、この“1枚のクレープ”にも歴史ありなのです。
冷遇されたフランス修行で出会うひと匙の希望の味
和歌山県出身の矢作さん。東京に出たいという夢から東京の調理師専門学校を卒業した矢作さんの、料理人としての始まりは吉祥寺のフレンチレストランから。そののち本物のフレンチを勉強したいとフランスへ旅立ちます。
向かった先はフランスのブルゴーニュ地方の小さな村。この村で一番歴史の長いフレンチレストランで修行が始まりました。お店の屋根裏部屋に住み込みで働き、手にできる給料はわずか1ヶ月3万円ほど。日本で少し勉強してきたつもりのフランス語は全く歯がたたず、ボンジュールしか通じない。怒られ続ける日々。小さな田舎町故、今から30年ほど前は、差別の目も冷たかったと話します。
お金もない、言葉もわからない、レストランのシェフにも村の人にも冷たくあたられる日々。ある日、レストランのスタッフとして働く女性がそんな姿を見かねて声をかけてくれました。うちでご馳走するから食べにおいでよ、と。
お家にお邪魔すると、その女性はカチャカチャと音をたて何かをつくり始めました。そう、それこそが“クレープ”だったのです。1枚焼いては皿に載せ、どんどん重ねていく。横には大きなヌテラチョコレートソースのボトルをドーンと置き、「さぁ召し上がれ」と振る舞ってくれました。
一番辛かった時に、初めてフランス人に優しくしてもらった。その時に食べさせてくれたのが“クレープだった”という体験が、矢作さんの中で今も強く息づいているのです。
振り出しに戻ったパリでの生活で救ってくれたもの
その後は村を離れ、北から南までフランスの有名レストランで働き、スキル的にも金銭的にも不自由なく成長していく中で、帰国する前に立ち寄ろうと最後に訪れたパリで再びどん底を体験することになります。
地方の街とは違い、やはりパリは都会。家賃は高く、それを払うためには良い給料のところで働かないと生きていけません。お金に困る生活に戻り、振り出しに戻ったような疎外感に見舞われます。ですが、ここでも矢作さんを救ったのは“クレープ”でした。
学生街を中心に沢山あったクレープスタンドで、ほんの数百円で食べられたおっきなクレープ。ヌテラをたっぷり塗られたものやチーズやハムをどさっと包んだもの。パリまでせっかくきたのに、お金がないからフレンチレストランには行けず、カフェすら入れない。そんな僕にもクレープはお腹いっぱいにさせてくれた。生き伸びることができた。
ブルゴーニュで作ってもらったクレープには精神的に助けられ、パリのクレープは大切な一食としてお腹を満たし救ってくれたのです。
高級レストランの成功で気づいた違和感
日本に帰国した後31歳の時に、荻窪にフレンチレストラン[Abbesses]をオープンするも、お客様が入らず苦労の日々。6年後、一等地で勝負しようと恵比寿に移転すると、お店は軌道に乗り成功を収めます。
でも、その時矢作さんが気づいたのは違和感でした。数百円のクレープに救われてきた自分が、高級なフレンチレストランで客単価1万円の料理を出すのってどうなの?と。
―気軽に立ち寄れる、生きる活力になる役目をしたいー
この心の声が転機をもたらし、新たな挑戦を始めることになります。[Abbesses]で貯めたお金でクレープスタンド[La Creperie]をオープンさせるのです。
フランスのクレープは当たり前に生活の中にある。焼き立てがどうとか、食感がどうかとかの前に、サクッと買って手軽にお腹を満たすことができるものという価値観。日本でクレープスタンドをやるからには、この“たかがクレープ”という視点で届けたいと考えました。
冷蔵庫と焼き台さえあれば出来るクレープスタンドは、移民の方やお金のない人がやっているお店も多かった。その人々から救ってもらったクレープという文化を、この日本で高級なものとして出すのはすごく違和感があったと話します。
なので、プライスは成立できるギリギリまで落とし、1枚350円に(現在は400円)。
クレープに今も昔も救われている
西荻窪の小さなお店から始めてみると、瞬く間に人気に火が付きました。今の三鷹の地に移転して、後に[Saint Denis Café]を隣にオープンさせます。こちらは大衆食堂を目指したビストロカフェ。フランスの田舎家庭料理をボリュームたっぷりにいただけて、ランチもディナーも大賑わいです。どの時間でもクレープ1枚でもウェルカムというのも嬉しいところ。
お腹いっぱい食べられるフランス田舎料理が並ぶメニュー
お店は矢作さんの好きが詰まったフランスのクラシックな佇まい。大好きなフランス語の文字に囲まれたいと、蚤の市で収集したアンティークが飾られ、床は古き良き時代のフランスのビストロやカフェをイメージしたタイル。
フランスの地方菓子のテイクアウトも
クレープの生地はもちろん、クリームやソースに至るまで、すべて1から手作り。生クリームだけはクレープ用に開発されたものを使いますが、それ以外はすべて自家製です。その1番の理由はなるべく安く出したいから。買うと高くなってしまうし、自分で作れば好きな味にもできます。時間や手間ひまはその分かかるけど、やっぱり安く出したいじゃん、と。手に入るもので労力をかけて、おいしく食べてもらうのが飲食店の仕事だと語ります。
クレープ屋を始めてみてやっと、矢作さん自身で“この仕事だ”としっくり来た実感を得ることができたと言います。とにかくお客様に喜ばれる毎日。赤ちゃんを抱っこしながら買いに来てくれたり、仕事帰りに飛び込んで来てくれたり、毎日通ってくださる方がいたり。心から料理人としての仕事が好きだと感じられるようになり、自分の在り方にようやく腑に落ちたと言います。
1万円のコース料理を日常的に食べられる人に400円のクレープを食べてもらいたいのではなく、400円しか出せない人に400円でお腹いっぱいになってほしい、そう語る矢作さんの見つめる先には、かつての自身の姿が映っているように見えました。
生地の美味さが迸るシュガーバター
2分で焼き上がるクレープ。気泡が少なく均一で、綺麗な黄金色が特徴です。バターシュガーのバターは惜しみなく。バターをたっぷり塗ってもへにゃっとせず、バターの旨味に負けない生地にしているのだそう。バターの海の上には散りばめられた砂糖がじゃりじゃりと微笑みます。
パリパリの生地は口の中でサクッと軽快な響きを残してシュンと消えていく…。焼き切られている軽さがあり香り高い! 歯切れの良さも同居した、このパリパリサクサク食感は初めての体験です。
軽やかな食感に反してこぼれづらいことにも驚き。“こぼれない”も大切なポイントなのだそう。矢作さんにとって、“クレープは絶対に食べやすく”は外せないモットー。いくらパリパリでもポロポロと崩れてしまっては食べづらい。サッと買って気軽に片手で食べられることを念頭に置いているからこそ、なのです。
香ばしい導きに誘われ、下の方へ食べ進めると、バターがゆっくりと下降し生地が緩んでいてもちっと感が現れます。噛めば溢れ出る止めどないバターに大歓喜。
巻かれたクレープの層に沿って、食感に驚く外周部分から、じゃりじゃりとリズミカルな砂糖を感じる真ん中部分、バターで膨らんだ下部分にわたるグラデーションも見逃せないポイントです。
その食感は偶然に。
[La Creperie]のクレープは大きい。でもこの大きさ、実は偶然の産物なのだそう。フランス菓子の技術を取り入れながら、生地だけで食べても美味しいクレープを目指し、レシピも焼き方も1から研究を重ねました。
手に入れた大きな焼き台いっぱいいっぱいに生地を広げるものだと(日本では焼き台からはみ出ないように生地を伸ばすことも多い)思っていた矢作さんは、2ヶ月かけてようやく焼き台の縁まで均等に綺麗に伸ばせるようになった結果、ビッグサイズなクレープができ、このサクサクとした食感に出会えたのだとか。
この導かれるような偶然、矢作さんの想いや行いを神様が見ていて、ちょっと手助けしてくれたのかも?と思ってしまった私がいます。
贅沢な(手法の)紅茶のクレープ
人気メニューの紅茶のクレープも頂きました。紅茶のカスタードクリームが生クリームと一緒に包まれています。ツヤが麗しい黄金色の香ばしさを楽しみながら進むと、アールグレイの清涼感のある華やかな香りがブワリと花ひらきます。カスタードに茶葉を混ぜているのかと思いきや、なんとびっくり!
牛乳の代わりに、まずアールグレイ茶葉でミルクティを作り、それを使ってカスタードを炊き上げているとのこと。
なんと贅沢なのでしょう。生クリームの角のない甘みとふわっとした口当たりを受けて、生地もふっくらと化ける。生クリームによって抜け感が生まれ、さくっ、ふわ、とろっの食感のたたみかけと、風味の抑揚が生まれ、頬は緩みっぱなしです。
「美味しい」より「助かりました」が聞きたくて
お店を一緒に切り盛りしているスタッフの皆様の中には、[Abbesses]時代から15年一緒に働いているスタッフも。自分が苦労した分、独立しなくてもこの職業で心配なく生活できるような社会を作っていきたいと目指しているのだそう。
クレープが本当にいろんなことを教えてくれ与えてくれたと話します。1枚のクレープでこんなお手紙をくれるの? こんな気持ちになってくれるの?って。自分が助かったように、自分も誰かを助けることができていると今は感じられているし、「助かりました」が「美味しい」と言われるより何より嬉しいかもしれない。
生きるためのクレープでありたいし、誰かのひと休みの時間になってくれたらいい。帰りの電車とかで、助かったなって思ってもらえたら本当に嬉しい。自分の心の声を大切に、真面目にやるのが1番大事だと思いますと語る矢作さんが、“やっぱり、たかがクレープなんですよ”って軽やかに笑って、私まで幸せな気持ちになりました。
矢作さんの想いとお客様の気持ち。双方にとって“助けられている”純度高い美しい関係に涙が溢れそうでした。全てに一貫した想いがあって、一点の曇りもない眼差しで話す矢作さんのお話には、彼の生き様が現れていて、なんと素晴らしい話を聞いてしまったのだ!とお店を出た後、小躍りしてしまいました。“今が本当に幸せ”と話す矢作さんの、これからも楽しみです。
LA CREPERIE
東京都三鷹市下連雀4-21(Google Maps)
土・日・月・祝定休
13:00〜(※生地が売り切れ次第閉店)Saint Denis Cafe
東京都三鷹市下連雀4-21(Google Maps)
日・月定休
12:00〜20:00
IG @lacreperie_stdenis
- Violinist
花井 悠希 / Yuki Hanai
ヴァイオリニスト。ソロや「1966QUARTET」のメンバーとして活躍する傍ら、レディースブランド「PANORMO」のデザイナーとしても活動。自他共に認めるパン大好き人間でもある。
IG @hanaiyuki
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