
連載「サブカル酒 Sub-Cul-Shu」#8
自分だけの酒地図が欲しかった
最近、Threadsにナチュラルワイン批判みたいな投稿が良く流れてくるようになった。僕もついにSNSのエコーチェンバーの中の人になったのかもしれない。一読して素人さんな飲み手の投稿も、明らかに業界の名の知れた酒屋の中の人やなんなら有名な生産者の投稿もみんな同じトーンで、つまり「ナチュラルワインの大部分は技術的に未熟!品質的に許せない味わい多すぎ!これはワインの受容のあり方としてどうなの?いいの?ダメでしょ!」と声を上げている。ここにきて某大御所のご託宣もあり、アンチ勢は我が意を得たり、というところだろう。
唐突な自分語りで恐縮だが、僕は10代の頃から、ワインを分かるようになりたいと強烈に思っていた。そこから30年以上かけて飲みまくり(サモトラを始めたのも、経費でガンガン飲めると踏んだからだ)、明らかにワインの(というか酒全体の)テイスティング能力は上がった。そのトレードオフとして、ある種のオフフレーバーに対する感受性が高まり、そういうワインに対してポジティブな評価をすることはなくなった(飲むけどね)。それは実際、多くのハードコアナチュールネイティブワインラヴァー(カタカナ長い)に共通の進化過程だ。そしてボルドーの有名シャトーやブルゴーニュの著名生産者や新世界のカルトワインなんかをちゃんと美味しく理解して飲むようになった。最近は量販店で売られることが多い、「どっかの有名なヤバいやつを味わいだけ完コピしました」系のお手頃テックワインも大好きだ。
そして、驚くようなワインに出会うことがだんだん少なくなった。あれだけ広大無辺だと思っていたワイン世界が、ちょっと自宅の裏山のように感じられるようになった。つまり僕はワインが分かる人になったのだろう。ちょっと寂しい気もする。とか言ったら諸先輩方や同業他社勢に笑われるんだろうが、僕は別に構わない。
今になって振り返ると、僕はワインを分かりたかったのではなく、自分だけのワイン地図(今では進化して酒地図)が欲しかったのだと思う。ワインスクールのテキストやワインの化学分析データからできあがっているのではない自分専用のやつを。それがようやく手に入ったわけだ。その地図には「グランヴァン」「ナチュラルワイン」「テックワイン」「バルクワイン」「オフフレーバー」「テロワール」みたいな凡例はない。ただ縦方向と横方向のグラデーションがあり、そこに僕の飲んできた様々な酒がプロットされていて、これから飲む酒が参照され、またプロットされる。たとえばワインを飲めば、その味わいに近い銘柄や他ジャンルの酒や、なんならお茶まで分かるようになっている。僕の酒仕事の大事なデータベースだ。そんな僕からすれば、今さらナチュラルワインを細分化して定義づけすることに意味は見いだせない。コンテンツ論からは飲み手の地平も思考も拡がらないのだ。
そもそもナチュラルワインのムーヴメントとは、権威化/ヒエラルキー化/工業化したワイン業界へのカウンターじゃなかったのか?ワインはもっと自由で自然な飲み物なんだと。であれば、自由ゆえのヤバい仕上がりのワインが混ざることは自明だろう。自由とは本質的にそういうものだ。道を外れる自由。バカをやる自由。破滅する自由。そしてそれを黙って見守ったりたまに助けたりする自由。そして自然は、人間の好みなんかお構いなしに様々な味や香りを生み出す。その中から、自分にとって新しい『美味しい』を探すことが楽しかった。少なくとも僕には。
それをここに来て『わたしたちのかんがえたまっとうなナチュラルワイン』を定義し、分類し、スタイルガイドラインを設定し、当てはまらないものをダメなものだと排除するの?それって、ナチュラルワイン界隈が最も憎んでいた「権威化」そのものじゃないの?熱意のある生産者がそういう発言をすることはまだ理解できる。ただ、評論家やソムリエやましてや一般の飲み手が積極的にそういう発言をするのは何か違うだろう。凡そワインの味わいというものは相対的なもので、グランヴァンからワインヴィネガーまでのグラデーションの中にある。そしてその美味しさの感じ方は本当に人それぞれで、その状況をそのまま楽しめばいいだけだ。もちろん、その境地に至るにはコンテンツ論を通り抜ける必要があるわけだが。
そもそもワインはビールや日本酒と本質的に違っていて、「造る」んじゃなくて「できる」ものだ。なぜなら酵母のエサが最初から存在しているからだ。昔から世界のワイン産地には、現在ナチュラルワインとして飲まれているようなブドウ酒がいたるところにある。今後もどこかでずっとそういう奔放なワインは生まれ続けるし、飲まれるんだと思う。議論の本質は、それらのワインに『リベラルエリート臭のある、いい感じにスピったナチュラルストーリー』を纏わせてグローバルに流通させたり消費させたりする今の流れが、今度はクリーンナチュラルだとかRAWだとか言ってるけれど実際どうなるか、だろう。
ダメなものがダメなもののまま存在できる余地があったことが、初期のナチュラルワインムーヴメントの大きな駆動力だったことは間違いない。そしてそんな世界で迷う自由があった。迷いながら地図を作ると、今度は安心して迷える。でも嗜好品の世界も、そんな地図がいらないような整然とした空間になりつつあるのかもしれない。
ちなみに僕は、いわゆる原理主義的なナチュラルアプローチについては否定的な立場だ。でもそれは、そういうワインができて流通して飲まれることを否定しない。ご縁があればありがたくいただく(料理に使ってしまうことがないとは言えないが)。
人間の脳は「普遍化」が大好きだ。それは脳の構造そのものに由来する利点でもあるし欠点でもある。自分の経験や嗜好を、あまりにも簡単に普遍へ昇格させる。自分の「好きじゃない」という感覚にサイエンスの味付けをして新たな権威と分断をもたらしたところで、カジュアルな飲み手が離脱するだけだと思う。そもそも酒界隈では飲み手も消費量も減っているのだ。そんな状況で新たな権威や分断を増やしてどうする?仲良く何でも飲もうぜ。
見えてる世界が自分の好みじゃないなら、世界を変えたり批判したりするよりも、自分の好みや居場所を変えた方が断然早いしエネルギーも使わないのだ。そしてあなたのアイデンティティは、そんなことでは失われないはずでしょ?

- Caviste
柿崎 至恩 / Shion Kakizaki
世田谷区代沢[Salmon & Trout(サーモン アンド トラウト)]のオーナー/カヴィスト。フードライター、翻訳編集者の傍ら、シチリア島でワイン醸造を学んだ。液体に関する博学多識ぶりはペアリング界隈でも有名だ。[サモトラ]は2026年3月末をもって一旦幕引き。2027年春、某地方某所で新業態スタート予定。
IG @salmonandtroutokyo
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