クラッシュカレーの旅 第13回

美意識は山に置き去りのまま/鳥取・大山・石臼・叩き旅


Jinsuke MizunoJinsuke Mizuno  / Sep 17, 2025

主目的は、あくまでも大山を歩くことだった。
そのついでに、クラッシュカレーを作ったのである。

なんだか冒頭から言い訳がましいのには、理由がある。クラッシュカレークッキングが、うまくいかなかったのだ。思うようにならなかったのだ。もっと単刀直入に言えば、僕は失敗したのである。

梅雨明けのいい季節を選んで鳥取へ向かった。大山だいせんという標高1,729メートルの山を心地よく登るために。日本の名峰のひとつとして呼び声高い山だけあって、事前に青空に囲まれた尾根を歩く人々の写真をいくつも見て、すっかり心が躍っていた。

早朝から何人かで登り、山頂で景色を楽しみ、下山する。山登りだの山歩きだのというものは不思議なもので、あれやこれやと準備をし、歩いて疲れ、体にこたえ、ぐったりとする。見方を変えれば自分の体をこらしめるために山へ向かうのだ。人によっては意味不明な行為に見えるだろう。

それでも「次はどの山へ」と思いを巡らせてしまうのは、空気がきれいで景色が素晴らしく、自然の音に包まれて心地よいからである。そして、たまに奇妙なものを見かけたりして楽しい。今回はちょっと特別だった。山中でスーツ姿の男性とすれ違ったのだ。

洗い立てのパリッとした白シャツにアイロンのかかったズボン、足元は革靴だった(はず)。黒いカバンを背負って快調に山を登っていく。通り過ぎる誰もが立ち止まるほどの異様な光景だった。出勤前に山頂へ? それとも山頂に会社が? いや、山頂に自宅が? 忘れ物でもして取りに戻るのか!? 世の中には奇妙な人がいるものである。

気を取り直して下山し、ふもとのカフェへ向かった。カフェを貸し切ってちょっとしたパーティを行うことになっていたからだ。そこで僕は「ついで」のクラッシュカレーを作ることにした。いつものように赤唐辛子を叩く。美しい赤色が出てきたところで、立派なパクチーの根っこを加えてさらに叩く。

途中、増量のために別途準備していた茶色の香り玉を混ぜ合わせた。ココナッツミルクと共に炒めると美しいオレンジ色のオイルがにじみ出てきた。

そこでふと昼間に山ですれ違った男のことが頭を過った。なぜ彼はあんなスタイリッシュな格好をして、山を歩いていたのだろうか。颯爽とした姿がハッキリと蘇る。あの格好をしてどうしても大山を登らなければならない理由はなさそうだ。噂によれば彼の目撃者は多く、一部では有名な人らしい。

きっと、彼の登山スタイルには彼なりの美意識に基づくものなのだろう。現にこうしてクラッシュカレーを作っている間も彼の残像が消えないのだから、僕自身、彼の生んだ「美」に取り込まれているようなものである。

美意識なら僕にもある。カレーを作るときには常に鍋中を美しく保つことを心がけている。完成したカレーの表情に自分の思う美しさが宿ることこそがカレー作りの醍醐味だからである。その点で言えば、鍋中で煮込みを始める今回のクラッシュカレーも美しいオレンジ色がにじみ出ていていい調子。パイナップルを放り込むと黄色がまた映える。僕は満足して具の準備に取り掛かった。

現場にあった素材はカレーにするのはもったいないほどの魚介類。イカとトビウオをみんなで捌いた。トビウオは鳥取ではメジャーな魚だそうで、旬の時期には食卓に上がるケースも多いという。骨を取り除き、食べやすく切り身にした。

これだけ鮮度のいい素材が入るのだから、カレーがうまくならないわけがない。勝利は手中におさまったようなものである。僕はイカとトビウオを豪快に鍋に投入した。あのとき、再びスーツの彼を思い出していたら、結果は違っていたかもしれない。勢いに任せて仕上げを雑にやっつけてしまった。

シーフードカレーは煮込み過ぎないのが鉄則。磯臭さが出てしまったり身がボロボロになったりしてしまうからだ。ふたをして必要最低限の加熱をし、火を止めた。ふたをあけ、できあがりを確認した僕は、一瞬にして気持ちが曇っていくのを自覚した。イメージしていた鮮やかな仕上がりに出会えなかったからだ。

僕は、僕の美意識を大山に置き忘れてきた。

あのカレーは、失敗だったのかもしれない。味や香りはいいが、色や表情が美しくない。イカワタとイカスミが色を濁らせてしまったのである。別の処理を考えるべきだった。食べてくれた人は喜んでくれた(はずだ)が、個人的にはモヤモヤの残る鳥取・大山・石臼叩き旅であった。

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