
低気圧の日のコーヒーはおいしい 002
ケンタッキーはすべてをゼロにする
その夜、わたしは単純な怒りと空腹を抱えて、帰宅ラッシュの電車に乗り込んだ。それは少しめずらしいことだった。空腹で電車に乗ることではなくて、怒っていることの方が。自分が怒らない人間だというわけじゃない。ただ、たいていの場合、「あとでこの感情と向き合おう」と沈黙しているうちに、怒りの旬を逃してしまうのだ。だけどそのときは、まだ獲れたての、新芽のような怒りが、たしかに身体の中にあった。放っておくこともできただろうけど、なぜか「そうするには勿体ない」と思ってしまった。こんなにシンプルで、鮮やかで、爽快な怒りは、滅多にないと思ったのだ。
わたしには「この気分のときには、これが食べたくなる」という組み合わせがいくつもある気がする。憂鬱なときは、マカロニグラタン。ぐったり疲れた日には、甘めの出汁のお蕎麦。嬉しいときは、すぐに味がなくなる板ガムとか、変な形のグミとか、子どもが親に「余計なもの買わないの!」と言われそうな、ああいうものが無性に食べたくなる。
でも「怒ったときに食べたいもの」は考えたことがなかった。いま何が食べたい?と考えてみる。がつんとお腹にたまって、すぐにエネルギーになる、そういうのがいい。ちょっとジャンクなものでもいいなと思ったとき、わたしの中でだれかが「今日、ケンタッキーにしない?」とささやいた。
いつぶりだろう、ケンタッキー。テイクアウトで「オリジナルチキン2ピースセット」を注文し、ドリンクはコーラにした。そして「大丈夫、まだ怒りは残っているぞ」と心を確認しながら、足早に家路につく。
家に着くと、テーブルの上にチキン、ポテト、コーラを並べた。ああ、なんて背徳感のある食卓。でもいい、そうしたかったんだから。チキンを一つ手に取り、かぶりつく。瞬間、脳に「おいしい」という信号が一斉に伝わった。なんてわかりやすい刺激。まだパリパリの食感が残っている皮、独特のスパイス、塩と油。ケンタッキーって、こんなに美味しかったっけ。
チキン、ポテト、コーラ。チキン、ポテト、コーラ。栄養の偏った三角食べを、ただ繰り返す。どうやって食べても、穏やかな所作にはならない。ひたすら食べることに集中する時間。気が付けば、怒りなどすっかり消えていた。
食後、頭の中に残っていたのは「お腹いっぱい、眠い」だけ。今日の出来事を思い出してみても、もうなんの感情も浮かばなかった。それよりも、空腹に揚げものを大量に入れたせいで、当然血糖値が上がり、猛烈な眠気に襲われていた。
今夜は、ケンタッキーで大正解だった。食べている間は「おいしい」で脳を占領し、食べ終わったあとは「眠い」で脳を占領する。怒りを思い出す隙さえ与えない、そんな食べものが、ここにあった。
翌朝、洗面所に映ったわたしの顔は、しっかりと浮腫んでいた。食べてすぐ寝たのだから、当然だ。だけど、昨日の怒りは跡形もなく消えていた。あんなに鮮やかだったのに。日記に書いておけばよかったと、少しだけ後悔する。けれどもう、あの怒りを、うまく思い出せない。仕方なく、iPhoneのメモに「ケンタッキーはすべてをゼロにする」とだけ書き残した。
- Office worker・Essayist
草間 柚佳 / Yuka Kusama
神奈川県逗子市出身。都内の会社員。お蕎麦とアイスと犬が好き。2024年、日記本『すくいあげる日』を個人制作。noteで日記やエッセイを更新中。
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