
連載「失われたすしを求めて」#2
大音の鮒鮨
夏の京都は実に10年ぶりだった。
当時わたしは大学生とかで、とんでもなく暑いなか、意味もなく南から北へ歩いたり、北から南へ歩いたりしていた。(これは本当に意味がなかった)
* * *
小松さんから「7月後半に鮒をつけるはずなので、また連絡をください」と言われていた。いわく、琵琶湖の北部で発酵食品を作っている「鮒ずしマスター」、丘峰喫茶店の堀江昌史さんという方を紹介してもらう。
京都駅から電車を乗り継いで1時間半、木ノ本駅に到着。ここは滋賀県長浜市・湖北というエリア。さらに北に、山をいくつか越えれば福井県の敦賀。
堀江さんが駅まで迎えに来てくれていた。白い軽バンの後ろにはお米が積まれていて「まずは精米に行きましょう」とのこと。その前に、駅近くのガソリンスタンドで給油。「あっ、こんちは」と不思議そうに挨拶する店員のおじさんは、堀江さんの音楽友達。「これ貸したるわ」と演歌のCDを貸してくれる。
精米所へ。今日の鮒ずしの分と普段食べる分のお米を一緒に精米する。精米歩合も鮒ずしの仕上がりに影響するが、今回は普段食べるお米も一緒にやってしまうので「標準」で精米。堀江さんは無農薬でお米を育てていて、自分らで食べるのと鮒ずしにはそのお米をつかう。お米を無農薬で育てるのは本当に大変で、もうとにかく雑草がボーボー生えてくるらしい。「本当にボーボー生えてくるの」と言っていたので、本当にそうなんだろう。
「蚕さんやってるところがあるから、見ていく?」
ということで連れて行ってもらう。丘峰喫茶店がある木之本町大音は、琴や三味線などに使う生糸の産地で有名らしく、糸取りを見せてもらう。
35度を超える猛暑の中、繭を浮かせた熱湯の鍋を抱えるように座る三人のおばちゃん。無駄がなく、細い糸を捉える整然とした手つき。フワフワと湯に浮かび、湯気に包まれ糸を手繰られる繭は、まるで踊っているかのよう。

* * *
堀江さん宅に到着。自宅を兼ねた丘峰喫茶店は、以前は喫茶店として営業していたけど、今は休止中。早速、鮒ずしづくりに取りかかる。今日はわたしの他に助っ人が2人、吉田さんとヒロタくん。吉田さんは「台所やまのかみさん」という名前で料理を作ったりしていて、ヒロタくんは京都大学大学院で数学を専攻する学生。
堀江さんが事前に塩漬けしていた琵琶湖産のニゴロブナ、オス5kgと琵琶湖の漁師から仕入れたメス10kgを漬ける。
まず炊飯。炊飯器がよっつ、二升炊きがひとつと一升炊きがみっつ。この日は全部で十升くらい炊いた。炊いたご飯はアルミのバットで冷ます。炊きたてのご飯から立ち上る湯気が、虫除けに被せた網にあたってはすぐに乾いて、波のようにうねっている。
ご飯を冷ましている間に、鮒の処理。卵を持たないオスはヒロタくん、メスは堀江さんと吉田さんが担当する。メスは卵を持っているから、処理が少し難しいため。
ヒロタくん、少し肩を強張らせながらも、丁寧に仕事をしている。聞けば養鶏や農業、狩猟なんかが好きで、いまは湖西の方で鶏舎の隣の小屋に住んでいるらしい。
「数学も農業と同じで、自然現象なので」とのこと。数学のことは何ひとつわからないけど、その言葉はすっかり腑に落ちた。途中で「テレビ会議がある」と言って、鮒を磨きながら携帯で数学の講義(?)を受けていた。

塩漬けの段階で鱗は取ってある。ヒレをハサミで切り落としてから、鮒の皮膚をたわしで磨くと、表の皮が取れて綺麗な水色が現れる。とにかく全身を丁寧に、隅々までたわしで磨く、目玉も取る、内側も磨く。これを怠ると臭みが出たりしておいしくないということ。シンクに肘をつき、曲がった腰はどんどんだるくなってくる。

全部洗いきったら休憩。以前漬けたビワマスやこあゆのなれずし、へしこをサンドウィッチにしたり、お茶漬けにしたりしていただいた。ヒロタくん、うまい、うまいと言って信じられないほどたくさん食べている。でもこれは本当においしかった。

それから鮒を乾かす作業。くつ下を干すみたいに、一枚ずつピンチハンガーに吊るす。内側の水分も拭き取りたくて、鮒の内臓があった場所にキッチンペーパーを詰める。
ギラギラの夏の陽射しに、鮒はグングン乾いていく。ある程度乾いたら、鮒を酒で洗う。どんな酒で洗うかが、味に影響するらしい。

* * *
最後に本漬け。大きな漬物用の樽にビニールを敷いて、ご飯、鮒、ご飯、鮒⋯⋯と重ねていく。空気が入らないように拳で押しながら、ご飯を樽の底に敷いていく。ご飯には山椒をたっぷり、これで爽やかな風味。おまじないで、以前漬けた鮒ずしの飯も入れる。その上に、鮒。鮒の中にもご飯をパンパンに詰める。鮒は苦しそうにエラや口からご飯を吹き出して、溺れているみたいだった。

最後に重しをして完成。食べられるのはちょうどお正月くらい。
単純だったけど、とにかく大変な作業。堀江さんはいつも独りでやっているらしい。「昔の人は本当に働きものだったんだね。田んぼも畑もやって、炊事も洗濯も子育ても」
わたしのひいおばあちゃん(優しくて、みんなからひよこちゃんと呼ばれていた)も、リヤカーを引いて朝市で野菜を売って、畑や田んぼ仕事を済まし、煙草の葉を干して、夜は売るための籠なんかを編んでいたと聞いた。いまのわたしには、一体どれくらいのことができているだろう。

わたしは、さっき炊いた十升のお米を思い出していた。
何気なく炊いたあのお米は、まさに堀江さんの汗水の結晶だった。みんなで磨いていたのは、地元の漁師が下ごしらえし、堀江さんが数ヶ月前から塩漬けしておいた鮒だった。だから鮒を磨くときも、本漬けのときも、なんだか空気がピリっとしていた。
鮒ずしは、鮒の仕込みから完成まで半年以上、米を育てることから考えればそれ以上の年月が必要である。そしてその過程全てに、堀江さんという人の営みがある。どれだけ神に祈っても、おいしい鮒ずしはできない。
お昼に食べたなれずしには、それを物語るような奥行きと複雑さがあった。降りしきる雨に腰を曲げ、ボーボーと生えた雑草を抜く人。こめかみから顎先にかけてツーっと垂れる汗。それは堀江さんであり、わたしのひいおばあちゃんでもあった。自然と人の営みによって生まれた不思議な香りや酸味は、勤勉さへの褒美に思えた。
わたしはひどく胸を打たれていた。そう、こういうものが食べたかったんだ。そして、なんだか、恥ずかしくなった。本当の鮒ずし作りとは、米を育てることから始まり、それはそこで生きることを意味した。
わたしは鮒ずしを作ったことがない。
わたしは、ただ鮒を漬けたことがある男に過ぎないのだ。

 
- Photographer
 那須野 友暉 / Yuki Nasuno
大学卒業後、会社員を経て上原朋也氏に師事。
2025年にフォトグラファーとして独立。
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