
『教養としてのカレー』 著者・清水侑季さんインタビュー
カレーは、世界を組み替えるレンズ。
「カレーとは何か」
誰もが知っている料理なのに、その問いに答えようとすると、意外と言葉に詰まる。スパイスを使った煮込み料理のことなのか。インド料理のことなのか。それとも、日本のカレーライスも含めた総称なのか。
答えは、一つではない。
だからこそ、『教養としてのカレー』は、その曖昧さから話を始める。
歴史、哲学、植民地主義、科学、宗教、知覚──。
一皿のカレーを入り口に、世界の見え方そのものを問い直していく一冊だ。著者は”カレー哲学“の名で活動する清水侑季さん。京都大学大学院で現代インド料理を研究しながら、執筆や料理活動を続けている。
「カレーを知り、世界の解像度を上げる」
帯に書かれたこの一文は決して比喩ではない。ページをめくるほどに、「カレー」という料理が、歴史や文化、人の営みを映し出すレンズのような存在に思えてくる。

「半年で書き上がる」はずだった一冊
『教養としてのカレー』は、清水さんにとって初めての商業出版となる。企画が動き始めたのは2023年。会社を辞め、京都大学大学院へ進学が決まった直後だった。
「最初は担当の編集の方から『半年くらいで書けますよね』って言われていたんです(笑)。でも結局、完成まで二年半くらいかかりました」
そう笑う背景には、研究者としての時間があった。その間にはインドでのフィールドワークもあり、半年近く編集者と連絡が取れない時期もあったという。

ムンバイのレストラン[MASQUE(マスク)]でのインターン時代。前菜の調理などを手伝っていた。
「インドに行ってしまうと、原稿どころじゃなくなっちゃって(笑)。連絡もしばらく返せなくて。でも編集さんが『まだ諦めてないので書いてください』って言ってくださったんです」
もっとも、本を書くこと自体は以前から目標だった。2019年からnoteで文章を書き続け、自主制作のカレーZINEも4冊刊行している。
「ZINEはZINEで好きなんですけど、やっぱりインディーズなんですよね。いつかちゃんと商業出版で一冊出したいという気持ちはずっとありました」
タイトルの『教養としてのカレー』は編集者の提案だった。
「ちょっと上から目線にも聞こえるタイトルかなと心配だったのですが(笑)。でも、そのくらい引きがある方が面白いですよね」
カレー部を立ち上げた大学時代
大学時代、自らカレー部を立ち上げ、半年間インドへ滞在。その頃から興味を持っていたのは、どちらかといえばインド料理そのものだった。現在も京都大学大学院で研究しているテーマは、南アジアの食文化と現代インド料理である。
「だから昔は、どちらかというとアンチスパイスカレーだったんです(笑)」
日本ではスパイスカレーという文化が急速に広がり、今や一つの食カルチャーとして定着している。しかし当時の清水さんは、「本場」と「日本のスパイスカレー」が切り分けられて語られる状況に違和感を覚えていたという。
けれど研究を続け、現地へ通い、人々の暮らしを見つめるなかで、その考え方も少しずつ変わっていった。
「本場とか偽物とか、そういう二項対立そのものを一回解体したいなと思うようになったんです」
その一言が、この本全体を貫くテーマにもなっている。
「カレーを定義しない」ということ
本書は第一章から「カレーを定義しない」という言葉で始まる。普通なら「カレーとは何か」を説明しそうなものだ。
「『これはカレーじゃない』『本物じゃない』っていう議論って、結構ありますよね。いわゆる“カレー警察“みたいな人たちもいますし。でも、人間が作ってきた文化って、そんなにきれいに分けられるものじゃないと思うんです」
少し間を置いて、こう続ける。
「僕は大学で西洋哲学を勉強していたんですけど、人って思考を楽にしたいから、全部を白か黒かで分けたくなるんですよ。でも、それって文化を考える時には危険だなと思っていて。『これは偽物だからダメ』って切り捨てるんじゃなくて、どうしてそうなったのかを考えた方がずっと面白いじゃないですか」
この考え方を決定的なものにしたのが、インドでの日々だった。
「もちろんインドにも、ビリヤニのルーツを巡るような“論争“はあります。ただ、日本でイメージされがちな『これだけが正解』という感覚とは少し違います。『好きなら食べるし、おいしければそれでいい』という柔軟さも、同時に存在しているんです」
「カレーを定義しない」ということは、答えを曖昧にするためではない。答えを一つに決めてしまうことの危うさを伝えるためなのだ。本書には「麻婆豆腐はカレーなのか」という、興味深いテーマも登場する。
けれど、それも読者を煙に巻くためではない。
「そういう話題って、カレー好きの間ではずっと語られてきたんです。でも改めてちゃんと本で書く意味があると思ったんですよね。わざわざ書くほどじゃないと思われることも、一回立ち止まって考えてみる。その積み重ねが、教養なんじゃないかなと思っています」
一皿のカレーから始まる思考は、気がつけば料理の話を越え、人間のものの見方そのものへと広がっていく。だから『教養としてのカレー』は、レシピ本ではない。カレーを通して、自分の思考の癖や、世界を見る角度を少しだけ変えてくれる本なのである。

カレーをたどれば、世界史につながっている
『教養としてのカレー』を読み進めていくと、少し意外なテーマが現れる。それが、植民地支配の歴史だ。カレーを知ることは、イギリスとインドの歴史を知ることでもあると、清水さんは本書で語っている。
「インドの歴史を勉強すると、イギリスがいかにひどいことをしてきたのかという話は避けて通れないんです。スパイスの歴史を読んでも、ヨーロッパがアジアを支配していく過程が出てきますし、その上で『カレー』という言葉も広まっていった。そういう背景を知ると、カレーの見え方も変わってくると思うんです」
きっかけになったのは、一冊の洋書だった。
『THE PHILOSOPHY OF CURRY』。
ロンドン在住のフードライターが書いた哲学書というよりは歴史書だ。
「彼らは、カレーという言葉自体がイギリスによる植民地主義の視点なんじゃないか、と考えているんです。日本でも『インドにはカレーがない』と言われたりしますけど、その先まで考える機会はあまりないですよね。僕自身も最初に読んだ時は、新鮮な驚きがありました」
もちろん、それはカレーを否定したいという話ではない。
「日本を含め世界に広がったカレーですが、その背景には略奪や支配の歴史もある。そういう少しネガティブな側面も含めて知っておいた方が、カレーという料理をもっと立体的に見ることができると思うんです」
「おいしい」で終わらせない。その背景に目を向けることもまた、「教養」の一つなのだろう。

カレー好きではない人にこそ読んでほしい
では、この本を一番届けたい相手は誰なのだろうか。その問いに対する答えも、少し意外だった。
「今までカレーと関わってこなかった人ですね。カレーが苦手な人でもいいですし、スパイスが嫌いな人でもいい。極端に言えば、『カレー好きが苦手』という人でもいいんです(笑)」
少し笑いながら、こう続ける。
「カレーを好きになってほしいわけじゃないんです。もちろん、好きになってくれたら嬉しいですけど(笑)。でも、それよりも『こういう世界もあるんだ』って知ってもらえたら十分なんですよね。今まで関わってこなかったものにも、その背景には文化や歴史があって、自分とは違う価値観がある。そのことを知るだけでも、世界の見え方って少し変わると思うんです」
『教養としてのカレー』というタイトルには、そんな思いも込められている。
カレーを知識として覚えることではない。一皿の料理を入り口に、自分とは異なる文化や価値観へ想像を巡らせること。それこそが、清水さんの考える「教養」なのだ。
一皿のカレーの先に広がる世界
『教養としてのカレー』は、スパイスの本ではない。レシピを学ぶ本でもない。ましてや、「本物のカレー」を定義する本でもない。
一皿の料理を入り口に、歴史や文化、人の暮らしへと視線を広げていくための本だ。ページを閉じたあと、次に食べるカレーは少し違って見えるだろう。いや、変わるのはカレーだけではない。旅先で出会う郷土料理も、いつもの定食も、食卓に並ぶ一品一品も、その背景にどんな物語があるのだろうと想像するようになる。
世界は、思っているよりずっと複雑で、曖昧で、おもしろい。
清水さんが『教養としてのカレー』で伝えたかったのは、カレーの知識ではない。一皿の料理の向こう側に広がる世界へ、もう一歩踏み込んでみること。カレーはきっと、そのための入口なのだ。
(作品情報)
『教養としてのカレー』(集英社)
清水侑季 (著)
定価:1,870円(税込)清水侑季
インド料理研究者/合同会社東京マサラ研究所代表。1991年、長野県生まれ。東北大学文学部卒業後、ソニー株式会社に入社し、食に関わる新規事業に携わる。退社後、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に進学し、2026年6月現在は博士課程に在籍。南アジアの食文化と現代インド料理を研究するかたわら、「カレー哲学」名義で執筆・編集・料理活動を行う。RiCE.pressでも連載中。Text by Shingo Akuzawa(文 阿久沢慎吾)
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