連載「京都-逗子日記 街の気配をつれて」#1

つったいそば、あたらしい気持ち、京都の大晦日


Yuka KusamaYuka Kusama  / Jan 28, 2026
東京での暮らしを経て、はじまる京都と逗子での暮らし。
それぞれの街の気配をつれて行き来する日々のこと。

その土地での暮らしが、すっかり自分のものになるには、どのくらいの時間がかかるのだろう。

北へ上がる、南に下がる。お店の名前、通りの名前、季節の行事。そこに飛びかう共通言語には、まだ追いつけないこともある。逗子駅から海までの道なら、きっと瞼を閉じても歩けるのに。

知っていることも、たくさんある。たとえば、京都の冬はうんと寒いこと。逗子は海から風が吹くけれど、凍えるほど寒いと感じる日はあまりない。京都は風こそつよくないけれど、足元からきんとつめたい空気が上がってきて、気づけば身体が芯から冷える。はじめてそれを体感したときは、これが「底冷え」かと、嬉しくなった。

先日、はじめて京都で大晦日を過ごした。
思えば今まで、大晦日を逗子・鎌倉以外で過ごしたことがなかった。いつも鎌倉をぷらぷら歩き、どこかでコーヒーを飲み、夕方に[ふくや]へ年越しそばを取りに行く。そこで店主のふくちゃんに1分くらいで1年分の近況を話したら、よいお年を!と手を振って、逗子にかえる。あとは家族とそばを食べて、紅白をみながらうとうとする。それがいつもの年越しだった。

京都の大晦日では、ずっと憧れていた「出町座で映画をみる」をかなえた。それから、商店街でたこ焼きを頬張り、[KAFE工船]でコーヒーを飲み、お花屋さんでナンテンを買い、近所の銭湯へ行った。夜は事前に郵送で注文しておいた[ふくや]の年越しそばを食べた。

「わたし、つったいそばがいい」

台所に立ち、大きな鍋で湯を沸かそうとしているパートナーに声をかける。“つったい”は、山形弁で“つめたい”のこと。[ふくや]は山形そばの店で、そばの温・冷を“あっつい・つったい”と呼ぶ。
山形そばは太く、しっかりとした歯ごたえがある。あっつい、つったい、どちらで食べてもおいしいけれど、冷水でしめると、そばの弾力や風味がいっそう際立つ気がして、わたしは冬でも“つったい”派だ。

湯が沸くあいだ、葱を刻む。なるべく薄く、薄く。刻んだ葱をまとめて指でつまんだときに、ふわっとした感触になるのが理想だと、ふくやでアルバイトをしていた頃に教えてもらった。

大学生の頃、わたしは[ふくや]でアルバイトをしていた。当時はまだ鎌倉店だけで(今は鎌倉と京都にある)、夜遅くまで常連さんたちとお喋りをしたり、休憩時間に近所のおいしいお店を巡ったり、お店の裏にやってくる猫に話しかけたり、隅っこで本を読んだり、のびのびした時間を過ごさせてもらった。今でもふくちゃんに、「ゆかちゃんは、隅っこで本ばかり読んでいたね」と言われる。
京都は学生が多く、よく「モラトリアムの記憶が詰まった地」だと聞くけれど、わたしのモラトリアムの記憶は、たぶん鎌倉にある。

ピピ、とタイマーの音が鳴る。そばができた。台所に広がる湯気。別添えになっているスープをうつわに注ぐと、ふわっとだしの香りが立ちのぼる。スープには親鶏のチャーシューも入っていて、このチャーシューも絶品なのだ。ぎゅっと身が締まっていて、噛めば噛むほど、旨みを感じられる。

「やっぱりふくやのおそばじゃないと、年が越せない」

そう言いながら、そばを啜った。よく知っている、いつもの大晦日の、ほっとする味がした。
この街のことを、わたしはまだまだ知らない。だけど目の前にあるこの味のことは、よく知っている。この味には、逗子や鎌倉ですごした記憶がある。それが今日、この街と重なった。こんなふうにして、わたしとこの街は、ゆるやかに溶け合っていくのだろう。

0時を過ぎて、初詣に出かける。つめたい空気に身を縮めるようにして歩く。街はとても静かだった。京都には何度も来ているはずなのに、やけに非日常を感じて、京都よりもっと遠くに来ている気がした。

実際、ずいぶん遠くまで来たのだと思う。数年前、海の近くで暮らしたくて、東京を出て逗子にもどろうかと考えていた。そこから思いがけず京都のひとに出会い、気づけば東京と京都と逗子を行き来する生活になり、気づけば東京の会社を辞めていた。そうしていま、京都と逗子を行き来する暮らしを始めようとしている。

とはいえ、暮らしの中心は京都になるのだろう。
それでも「京都へ移住します」「新天地での生活がはじまります」といった言葉をふんわり避けてしまうのは、大きく旗をふることは、自分をドキドキさせすぎてしまうと知っているからだ。
なにかを選ぶことは、なにかを捨てることだと言うけれど、わたしは欲張りなので、大切にしたいものを大切にしたいぶんだけ、持っていたいと願ってしまう。抱えきれず慌てふためく未来がきたら、そのときに考えたい。

「逗子だと年越しの瞬間、遠くから汽笛の音が聞こえるんだよ」

ふと思い出して、隣を歩くパートナーにそう伝えた。

やがて、遠くにたくさんの提灯が見えはじめた。北野天満宮の入り口だ。どこからか、お囃子の音もきこえる。あたらしい年がはじまっていく。ふたつの街とわたしは、どんなふうに混ざり合っていくのだろう。心のなかでこっそり「あたらしい生活!」と、ちいさな旗を振ってみた。

 

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