連載「コペンハーゲンの隣から」#1
ちょうどよさが重なる街で
はじめまして、北村凪と申します。
東京で生まれ育った24歳です。美術大学でデザインを学んだ後、都内のカフェで働いていました。とにかく小さい頃から食いしん坊で、大人になった今でも毎日食べ物のことばかり考えています。大好物は春巻きです。
そして現在、私はスウェーデンで暮らしています。この国で暮らそうと思った理由は、北欧の食文化や家庭料理、自然との関わり方、そして暮らしそのものに物心ついた頃から強い関心があったからです。本や写真ではなく、実際にその中に身を置きながら学んでみたいと思ったのが理由の一つです。それに加えて、自分にとっての心地よさを見つけたかった、という理由もあります。日本での生活はある意味でとても満たされたものでしたが、同時に、どこかにまだ見ぬ自分らしい暮らし方やペースがあるような気もしていました。そんなとき、「海外でひとりで暮らす」という選択肢が、ふと浮かびました。
そして、数ある国の中でスウェーデンを選んだ大きなきっかけは、高校時代に出会ったスウェーデン人の友人の存在と、どこか惹かれる直感でした。
こうして移り住んだこの国で、思いがけないご縁があり、この連載を始めることになりました。これからどうぞよろしくお願いします。
今は、スウェーデン南部のMalmö(マルメ)という都市に滞在しています。首都ストックホルムからは電車で約5時間とやや遠いですが、隣国デンマークの首都コペンハーゲンはオーレスン海峡にまたがる橋を渡る電車でわずか30分の距離。食に詳しい方には特に、コペンハーゲンはよく知られた街だと思いますが、そのすぐ隣にあるこのマルメという街は、名前すら知らない方が多いかと思います。そう言う私にとっても、スウェーデンに来る直前まで聞いたことのない街でした。
一言で言えば、コペンハーゲンの海を挟んだ隣町で、ほどよく活気のある落ち着いた街。この連載では、そんな “コペンハーゲンの隣” にあるマルメで暮らす人々の日常にある「食」がどのようなものなのか、自身の生活で体験したことを綴っていきたいと思います。「マルメらしさ」というものが、きっとその食のかたちに表れているはずです。
ちょうどよさが重なる街で
レンガ造りの建物が並ぶ街を自転車が行き交う景色は、隣のコペンハーゲンと地続きのようです。北欧らしい寒さの厳しい季節になってきましたが、近所の公園や広場では、子どもやその家族、若者たちがのびのびと時間を過ごしているのを目にします。立ち並ぶレストランは実に多国籍で、行き交う人々も国際的です。アートやデザインに関わる場所も多く、クリエイティブな文化に気軽に触れることができる街です。
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スウェーデン第三の都市ではあるものの、ストックホルムやコペンハーゲンと比べれば随分と小さな街です。けれど、街全体は活き活きとしていて、寛容さと穏やかさが同居しているのがマルメの魅力だなと感じています。近所を歩けば、地元の人々が集うカフェやちょっとした散歩ができる公園、大きすぎないショッピングモール、すべてが互いに近くにあり、歩いて回れるコンパクトな街です。そんな都会すぎず、田舎すぎず、人々の暮らしが息づくマルメは、わたしにとって「ちょうどいい」という言葉がぴったりです。私自身が心のどこかで求めていた独特の 「ちょうどよさ」が漂うこの街での暮らしは、とても楽しく充実しています。
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この街に住み始めてすぐに実感したことの一つは、カフェで過ごす時間がスウェーデンの日常に欠かせないものだということです。コーヒーを片手に思い思いの時間をすごす人々の姿は当たり前の景色で、涼しさが心地よく感じられた夏の終わりには、テラスやベンチで日を浴びながらくつろぐ人たちをよく見かけました。そのピースフルな光景が、とても好きでした。
これが、私自身にも自然にしっくりと馴染んだスウェーデンの文化のひとつ、「Fika(フィーカ)」です。コーヒー片手にひと息つく時間を、この国の人々はとても大切にしています。友達や同僚とおしゃべりをしたり、一人で本を読んだり、カフェでも家でも、さまざまな場所で日常的にFikaの時間が過ごされています。多くの場合、シナモンロール(“Kanelbullar”)や小さなお菓子が添えられます。
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スウェーデンに来てから、友人と、あるいは一人でFikaを重ねるうちに、日本にいた頃のことをふと思い出すようになりました。よく喫茶店で友人とお茶をしながらゆっくり語り合った、あの心地よい時間のことです。「ああ、もしかしたらあれもFikaだったのかもしれない」と思うことがあります。スウェーデン独自の文化でありながら、この習慣がすっと自分にすっと馴染んだのは、きっと日本にいる時から大切にしてきた時間とつながったからなのだと思います。
最近は、Fikaをする行きつけのカフェを見つけるべく、近所のカフェをひとつずつ巡っています。お気に入りの一軒に出会うことはそう簡単ではないですが、この街に暮らしているという実感をもっと深めてくれるはずだと思い、張り切って少しずつ雰囲気の異なるカフェを訪れては、自由にその時間を楽しんでいます。
今回は、街に点在するローカルカフェを巡る中で私が見つけたお気に入りの一軒とともに、マルメのFikaの風景をお伝えしたいと思います。
Örum Bageriで見たFikaの風景
日曜日のお昼どき、小雨が降る中、自転車で目指すのは[Örum Bageri]。マルメの中心地から海の方へ少し離れた住宅街に差し掛かります。ほどよく人々が行き交う生活感のある心地よい雰囲気の場所です。
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冷たい秋風から逃れるように、早足でお店へ入りました。入った瞬間に小麦粉の香りと落ち着いた色調のインテリア、暖色の照明に包まれ、一瞬にして身体が温まる心地がしました。店員さんにやわらかい笑顔で “Hej” と迎えられ、強張っていた心もすっと解けました。
ショーケースには、スウェーデンらしいシナモンロールやカルダモンロールに加えて、パン・オ・ショコラ、そしてかわいらしいサイズの「SHOKUPAN」の文字も見えました。カフェに来るといつも、ショーケースの前で長いこと迷ってしまいます。美味しそうなパンがずらりと並んでいるので、毎回後ろに並ぶお客さんに「どうぞ」と先をゆずるのがお決まりです。結局、Mandel Croissant(アーモンドクロワッサン)と、チャイを注文しました。クロワッサンはその場で受け取り、窓際のカウンター席へと向かいます。
店員さんが席まで運んでくれた、飲みごろのチャイを大きめのカップに注ぐと、やさしいスパイスの香りがふわっと立ちのぼりました。一口飲むと冷め切っていた体温が徐々に上がっていきます。続けて、上からプレスされたような見た目のアーモンドクロワッサンも一口かじります。さくっ、ぱりっというよりも、ぎゅむっとがっちりなデニッシュ生地からじわ〜っとゆっくり甘みが広がりました。クロワッサンの中には、想像以上にたっぷりのアーモンドペーストが挟まれていて、かりかりっとしたアーモンドの食感がとても楽しく、これひとつで十分な満足感がありました。
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その間、窓の外には、[Örum Bageri]を目掛けて来る地元のお客さんがひっきりなしにやってきます。店内には常に列もできていました。カウンターで一人コーヒーを嗜む男性や、温かい飲み物を一杯ずつ飲むカップル、寒い中外の席でおしゃべりする若者たち、サンドイッチを頬張る仲良しガールズ四人組、小さな子どもを連れた家族、ランニング合間にテイクアウトする人……。さまざまな人が行き交うこの場所は、きっと誰かにとってのいつもの待ち合わせ場所なのだろうと窓越しに想像したりもしました。
店内を見渡すと、ゆっくり過ごす人もささっと食べてすぐに出ていく人もさまざまで、それぞれのテーブルにそれぞれ独自の時間が流れていながら、店内全体は調和が保たれている、そんな空間を心地よく感じました。帰る間際に「もっとゆっくりしていたい」と話す人たちの声も聞こえ、店を出る人々の顔はみな満たされた表情でした。
その中で特に印象に残っているのが、サンドイッチとシナモンロールをナイフで半分にして分け合う老夫婦。各々のお皿に半分ずつのせてほほえみ合いながら頬張る様子に、きっといつもこうしているんだろうなと想像し、二人だけの時間をそっとのぞき見たような気がして、嬉しい気持ちになりました。
それぞれのテーブルにそれぞれのFikaの時間がありました。その空間でひとときを過ごして、これがマルメの人々にとってのちょうどいい休息なのかもしれないと思いました。忙しない日々と少し距離を取り、週末に友人や家族とひとときを共有すること、あるいは自分自身と向き合う時間を作ることが、人々の暮らしの中でとても大切な役割を果たしているのだと思います。特別な準備はいらないし、わかりやすく派手な遊びでもない、日常の中で誰でも、いつでも実践できるものなのです。
ここで暮らす人たちにとってのカフェは、ただコーヒーを飲む場所ではなく、人々が日常や時間から一度ふっと心を緩めるための場所であり、街のあちこちに点在する第二の家のような、安心感をもたらす大事な拠点のように思えました。
そしてまた、一人ひとりが自分なりのリズムを携えているようにも見えました。いくつパンを選ぶのか、カウンターで食べるのか、外の席を選ぶのか、分け合うのか、ゆっくり過ごすのか、足早に店を後にするのか。どれもきっと、それぞれが心地よく過ごすための自分だけの「基準」に基づく選択なのだと思いました。そのそれぞれが持ち寄る 「ちょうどよさ」 が重なり合うことで、店内には自然と調和し、心地よさが生まれているのかもしれません。
雨上がりの道を自転車で走りながら、そんな無理のない調和がカフェを越えて、街全体にやわらかく広がっているように感じました。この街に根付くFikaの習慣を通して、マルメの人々のちょうどいい暮らし方を垣間見た気がします。
Örum Bageri
Citadellsvägen 23, 211 18 Malmö
IG: orumbageri
2001年生まれ。武蔵野美術大学卒業。北欧の食文化や人々の暮らし方に強い関心を持ち、2025年8月よりスウェーデン・マルメに在住。食にまつわる全てのものが大好き。月に一度スウェーデンでの暮らしについて綴るニュースレターを更新中。
IG @nktmr9
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