副編集長・成田の編集雑記「半ライス」

世界一美しい本をつくる人たちに会いに行く。


Shunpei NaritaShunpei Narita  / Oct 19, 2025

最新号魚特集の制作期間は休暇をもらってドイツで過ごしていた。幸福なことに仕事でどこか遠くに行く機会は多いが、自らの希望で旅をするのは結構久しぶりというか社会人になってはじめてのことだった。

飲食関係のユニークな場所はもちろん、見たい展示や建築を観まくってインプットしつつ、会いたい人たちに会ったりしながらのんびりと過ごした。とてもいい時間だった。ベルリンを拠点に滞在していたが、すこしだけ遠出をしてゲッティンデンという小さな地方都市に向かった日のことを書いてみる。この街に向かった目的はただひとつ、Steidl(シュタイデル)という出版社を訪ねることだ。

ベルリンから特急列車に揺られること約2時間。座席部分にはテーブルがピタッと内蔵されている。マットなグレーが格好いい。機能美を追求した無駄のないデザイン。車窓からはフォルクスワーゲンの工場が見えたりして、あぁドイツにいるなという気持ちになってくる。

日本で他の出版社に足を運ぶ機会など全くないのだが、せっかくドイツにいるならばどうしても行きたい出版社があって、それがここシュタイデルだった。

代表のゲルハルト・シュタイデルは『世界一美しい本を作る男』というドキュメンタリー映画にもなったくらいで、アートブック界隈ではかなり名のしれた存在である。ロバート・フランクやソール・ライターといった写真家から、カール・ラガーフェルドのようなファッションデザイナーまで。1968年の創業以来、ジャンルを問わないがいずれも世界最高峰のビジュアルを手がける人々たちと協働して本をつくり続けているヨーロッパ随一の出版集団だ。

普段自分たちが制作しているのはフード雑誌だから、扱っている題材からスタイルまで全く別物なのだが、この業界のはしくれにいる者として、“世界で一番美しい本がどんな現場から生まれるのか?自分の目に焼き付けておきたかった。ということで渡航前にダメ元でメールを書いたのだった。

“東京でインディペンデントな出版社で働いています。いつかはあなたたちのような世界水準の仕事をしたいと思っていて、どうしてもその仕事ぶりをみてみたいのです。10分でもいいので時間をくれませんか?”

簡単に返事は来ないだろうなと思いつつ、数日後受信ボックスを見ると<mail@steidl.de>というアドレスから返信がきていた。全メールを差し置いてひときわ輝いている。どきどきしながら開封する。

“このたびはご連絡とお問い合わせ、誠にありがとうございます。あなたをシュタイデルにお迎えできることを嬉しく思います。出版社と印刷室をご案内いたします”

高貴なインクの香りが漂ってくるような品位あるメッセージに思わずうっとり。心の中で深々とお辞儀をせずにはいられなかった。

ということでいざ行かんシュタイデル。レンガの建物はかなり古くて堅牢なつくり。入り口のベルを押す、とても嬉しい気持ち。全てのアポイントがこんな感じならいいのに。僕たちもそう思ってもらえる会社になれたらいいな。

こんな機会も滅多にないからと、4年に1回くらいしか登場しないギャルソンのジャケットを羽織って気合十分に臨む。背筋を伸ばしながらベルを鳴らして2.3秒、ドアの開錠を知らせるブザー音が鳴った。想像以上の大きなボリュームでびっくり、でも出版社のメンバーがそれを上回るあたたかさで迎えてくれて安心した。みんな穏やかな表情で、さっぱりしたシャツやニットが似合う感じの人たち。いかにもいい本を作る出版社のスタッフという空気だった。


お土産に、と日本から持ってきたお茶を渡して簡単に自己紹介を済ませたら早速オフィスツアーがはじまる。メインの一棟に編集部と打ち合わせルームなどがあり、地下は印刷工場だ。そう、シュタイデルの最大の強みは出版社でありながら、自分たちで印刷・製本までをも一期通関で行うところにある。

プリンティング・ルームの様子。印刷ディレクターたちが目を光らせながら着々と業務が遂行されていく。巨大な印刷機が一定のリズムで紙を吐き出すたびに、空気が微かに震えるのだ。

ものづくり大国ドイツにおいても最強レベルのオペレーターを擁しつつ、紙やインクなどの原料も異常なほどこだわる。たとえば紙ならばインクのノリが最適な状態になるよう、すぐには使わず3ヶ月は寝かせる。一流の料理人が素材の選定や処理に妥協しないのと同じように、本づくりに必要なものも丁重に扱う。シュタイデルが手がける本は大量生産の製品ではなく、作品然とした佇まいの一冊ばかり。これらが出来上がるためには、明確な理論に裏打ちされた作業工程が連続している。

案内してもらっているときに否応なく自分の仕事を振り返った。普段の雑誌づくりでは印刷までを担当しているわけではなく「印刷は印刷会社に」と分業制を敷いている。やっとこさ入稿したら、「あとは任せた!」と印刷所へ託すのだ。

それゆえ雑誌が完成する瞬間は、「モニター上で出来上がったデザインデータが束になった」みたいな感覚であり、フィジカルな手応えは(製本というプロセスにおいては)ほとんど存在しない。出版や写真関係の先輩たちに怒られそうだが、今まで印刷所に行ったことすらなかった。

「子どもたちは魚のことを知らない。海で切り身が泳いでいると思っている」みたいな常套句があるけれど、自分も「プロフェッショナル編集者です」みたいな顔をしながら全く同じことをしていたのだ。だからシュタイデルのプリンティングルームに入ってその崇高な空気を浴びた時、興奮とともに恥じるような感覚も湧き上がってきた。「本を作ること」そのプロセスにもっとこだわらないと。きちんとした美学がなければ。

装丁室の様子。過去に手を取った布張りの写真集も、ここにある布の束からできていたのかも?

本来であれば印刷技術のすばらしさについても言及したいところだが、それらに関する詳細は他の記事やドキュメンタリー映画に譲ることにしよう。(譲るというかそもそも知識不足で書けない)

では自分が実際に足を運んで受け取ったものは何か? これはとてもシンプルで、「人と仕事をする」ということに対して、シュタイデルのチームはとても誠実に、工業的でなく家庭的に向き合っているという事実だった。抽象的なのでちょっとずつ紐解いてくが、まずその象徴だと感じたダイニングから紹介したい。

斜めに切り出された壁からやわらかな自然光が入ってくる。技巧を凝らした感じではない、でも選び抜かれたのだと思われるシンプルなテーブルや椅子、生花がチャーミングにいけられている。脇にはCDプレイヤーと2-30枚のCDがある。お気に入りの一枚をタイミングでかけるのだろう。

このダイニングスペースだが、社員たちが食事をするための社食ではない。むしろ一緒に仕事をする外部のコラボレーターたち、写真家やアーティストのためにある。彼らが訪れたときに食事を提供するための場所なのだ。仕事に支障が出ないよう、軽めのベジタリアン料理を振る舞うという。

シュタイデルがゲストをもてなす時の哲学や、料理のレシピなどが一冊の本にまとまっている。「Lunches at Steidl」キャッチコピーも洒落ている。「ティファニーで朝食を」ならぬ「シュタイデルでランチを」だなんて! 彼らにとって“おいしいランチ”は、共同制作に欠かせぬ第一章なのだ。

最終的な成果物に直結するから、編集者とアーティストの関係性というのはとても大事である。常に心地よい距離感を築きたいと願っている。そのために「どこかへ飲みにいく」みたいなことは僕もよくやっているが、人との関係構築手段をアウトソーシングしているとも言えるだろう。

対してシュタイデルの、親しい人を家に招くような感覚で一緒に自分たちの空間で食卓を囲む。心からウェルカム!という姿勢でもてなす。(急に謎のメールを送ってきた、どこの馬の骨かもわからぬアジア人をあたたかく出迎えてくれたように)そんなあり方には深く共感した。

シュタイデルのもてなしの根っこにあるのは、“日々の暮らしのセンス”にあるのかもしれない。少し話が逸れるが、休暇中ベルリンの人たちと会って印象的だったのは、「都市の余白をフリーライドして楽しむ感覚」みたいなものだった。仕事がはけたら公園や川沿いでビールを飲むのが最高に気持ちいい。別にお酒じゃなくてもいい。水筒に入れたコーヒーでも、いや水でも楽しめるじゃんという姿勢である。わざわざお金かけなくても、マインド次第で気持ちよく過ごせる。東京にいると無自覚的にも「お金を払い、その対価として何かを体験する」というスタンスが染み付いているけれど、いかに豊かな時間を過ごすのか?その要点は場所ではなく、結局ひとりの人間としてどうあるかだ。会食でもプライベートでも「店選びどこにしよう」とか毎回考えるが、究極路上でワン缶でもいいわけである。どんな場所であろうが楽しい時間にできる人でありたいし、そういう人間としての体幹みたいなものを鍛えたい。まだまだ足りていないぜ。

またシュタイデルのスタッフと話していて印象に残ったのが、アーティストとの関係がビジネスライクではないこと。「いいものをつくる」というゴールに対して非効率な手段であれ、前向きに選択する。むしろそれ自体を喜びととらえているようだった。

「写真家と私たちの関係は特別なものです。データをクラウドサービスにあずけて送受信しあう関係ではありませんから。アーティスト自身がわざわざこの場所に来て、一緒に作業をして色味の微妙な部分までこだわり切る。これは大きな出版社ではなかなかできないことです。このプロセスはとても素晴らしく、幸せに感じています」

そう話してくれたのはこちらのMichaelさん。彼の仕事内容を聞けばコミュニティにおけるマーケティングやマネジメントだという。シュタイデルは自社ビルからすぐ近くの圏内にいくつものギャラリーを保有していて、展示ができる。彼はその管理や運営などを担当しているのだそう。

この日は写真家ナン・ゴールディンの展示が開催されていた。展示会場は「リビングの一部に素敵な写真を飾っている」みたいなテンションで、ここもどこか家庭的な雰囲気だ。

ホワイトキューブのギャラリーとは異なる魅力がある。暮らしの中にアートがあるイメージ。ナン・ゴールディンのぶっちぎりで力強いポートレイトが、使い込まれたソファや絨毯の色彩とうまいこと共存していた。

こうした世界的なアーティストの展示が、巨大都市の「〇〇現代美術館」ではなく、地方の街場ギャラリーで展示していることに強烈な意義を感じた。裏には公園があって子どもたちが遊んでいる。自分も地方出身なので、強烈にカルチャーに焦がれ渇望していた学生時代を重ねずにはいられなかった。多感な時期にふらっとナン・ゴールディンの作品をみたり、格好いい地元の先輩が「これマジでいいから見てみ」と代表作の『性的依存のバラード』を貸してくれたりしたら…全く違う人生になっただろう。

ギャラリーは今後も増やしていく計画のようで、訪問時には着工中の場所が二箇所もあった。とてもポジティブなエネルギーが現在進行形で渦巻いている。

世界一うつくしい本をつくりながら、それでいて街にひらき、事業をより強く太くしていく。その過程で一流のアーティストたちが「美しい本を作りたい」というモチベーションで若干僻地とも言えるこの街へやってくる。かしこまったアートフェスやトリエンナーレなどやる必要はなく、自然とカルチャーが循環していく生態系がある。これをいち出版社が実践しているわけだ。

日本の出版業界に覆い被さる負のムード「俺たちどうせ業界斜陽だから」的な空気は微塵も感じなかった。出版社だけど不動産転がしてどうこうとか、新奇なベンチャーっぽいことをやるのではない。「世界で一番美しい本をつくる」という情熱的な動機で逆境に挑んでいる。その事実に直球で圧倒された。

オフィスを出るときに案内してくれたMichaelがとてもあたたかい言葉をくれた。「あなたのような編集者にインスピレーションを与えられることが一番嬉しいし、やりがいがあるんだよ」

この仕事をはじめてからしんどいこともたくさんあったけれど、自分はなんだかんだ雑誌という文化を多分割と愛している。脈々と受け継がれ先人たちが敷いてくれた出版業界というレールの上を崩れ落ちそうになりながらもがむしゃらに走ってきて、今回ようやくとれた夏休みでドイツに行ってこんな言葉をもらえたとき、ちょっぴり本気で泣きそうになった。

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