連載「京都-逗子日記 街の気配をつれて」#2
海街にて、息つぎをする
東京での暮らしを経て、はじまる京都と逗子での暮らし。
それぞれの街の気配をつれて行き来する日々のこと。
頭の中が忙しないとき、ままならないことばかりで肩を落とすとき、なんとなく息が浅いとき。わたしは、足早に海へと向かう。京都にいるときなら「ちょっと銭湯に行ってくる」と家を出る。
銭湯でお湯に浸かる時間と、海で夕陽を眺める時間は、よく似ている。身体も気持ちも自然にほどけて、ほうっと深い息がこぼれる。自分のあちこちがゆるんでいく、あの感覚。うっかり涙がこぼれることもある。決してボロボロ泣くわけではなくて、本当にうっかり、という感じで。
いいなと思うのは、みんなが湯をざぶざぶ浴びているときに、一粒の涙に気づくひとなんていないこと。だからわたしは安心して、涙を三粒くらい流す。夕方の海でも同じことが言える。みんなが夕陽をまっすぐ見つめているとき、他人の涙に気づくひとなんていない。目が合うのは、せいぜい散歩をしている犬くらいだ。
そういう時間を過ごしたあと、ようやくわたしは「ああ、息ができた」と思うのだ。
小さな頃から、息つぎが苦手だった。
どのタイミングで息を吸えばいいかわからないし、息を吸ったあとは、うまく泳ぎに戻れない。クロールで25メートルを泳げるようになるまで、夏休み限定のスイミングスクールに通った記憶もある。息つぎだけではなく、同年代の子たちと仲良くなるのも苦手だったから、スイミングのあとのセブンティーンアイス(グレープ味)だけが、わたしのモチベーションだった。
息つぎが苦手だった子どもは、やがて息抜きが苦手な大人へと成長した。泳ぐのと同じで、適切な休息のタイミングも、休息のあとの戻り方も、よくわからなかった。
そういう大人を長いこと続けてきて、最近ようやく気づいたのは、わたしのような人間は、海や銭湯のように、とにかく「行けば自動的に肩の力が抜けていく」場所を持っておくことが大切ということ。まずいと思ったら、そこへ駆け込めばいい。
だから逗子にいるときは海へ、京都にいるときは銭湯へ、せっせと足を運ぶ…と言いたいけれど、困ったことに、本当に余裕がないときというのは、海で夕陽を眺めることも、銭湯でゆっくりお湯に浸かることも、満足に時間がとれなかったりする。いや、本当は取れるのだろうけど、その時間をとることを、自分にゆるしてあげられないような心持ちになるのだ。
そういう自分に気づいたときは、自分に対して「一杯だけコーヒーを飲みに行こうよ」と、声をかけるようにしている。
嬉しいことに、逗子にも京都にも、たくさんの素敵なカフェがある。好きなお店をあげはじめたら、本当にきりがないけれど、今回は逗子の回なので、やっぱり[and saturday &coffee]のことを。
[and saturday&coffee]、通称アンサタさんは、わたしにとって大切な「息つぎスポット」だ。
アンサタさんには、いつもあたたかい空気が流れている。大きな窓から入る光、オーナーご夫婦のやさしい笑顔、ちょっとした会話、季節のタルトや焼き菓子、素敵なマグカップに注がれる、たっぷりのコーヒー。お客さんが思い思いにくつろぐ風景。そのひとつひとつが、あの特別なあたたかさをつくっているのだと思う。
この一年、わたしは東京、京都、逗子を、忙しなくぐるぐると移動してきた。そんな移動生活のなか、久しぶりに訪れても、変わらない笑顔で迎えてくれるアンサタさんの存在が、とてもありがたかった。
きっとそれは、はじめて訪れたお客さんであっても、たまにふらりと訪れるお客さんであっても、いつもの常連さんにも、同じように手渡されるあたたかさなのだろう。だからわたしは、アンサタさんが大好きなのだ。
先日も、久しぶりにお店を訪れて、季節の苺チョコタルトとコーヒーをいただいた。お店には大きな焙煎機が導入されていた。変わらないあたたかさのなかに、更新されていくあたらしい景色があるのは、わくわくするなあと思った。
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あと一カ月もすれば、逗子にも春がやってくる。
息抜きが苦手な人間にとって、春の逗子はとてもいい場所だ。できれば、お天気のいい日に訪れてみてほしい。
別に張り切って早起きしなくてもいい。ゆっくり起きて、ふらりと逗子へ来て、カフェでコーヒーとおやつを食べて、日の入り一時間前くらいに海へ向かう。
わたしはいつも、ただ浜辺で膝を抱えて、夕陽に照らされている。大きな犬を眺めたり、くるくる舞う凧を見上げたり。春先のぬるい空気に包まれ、波の音を聞いているだけで、湯船に肩まで浸かったときみたいに、ふうっと力が抜けていく。
夕方の空の色は毎日ちがう。夕陽が沈むと、ぽっかり白い月が浮かぶ。ほんのしばらくオレンジ色がのこり、そのあと、うつくしい青色が広がる。昼間とはちがう、特別な青色。
すっかり暗くなる頃には、お風呂に入ったあとのように、さっぱりした気持ちになっているはず。日が暮れたあとはぐんと冷え込むので、厚手の上着を忘れずに。
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- Marketer・Essayist
草間 柚佳 / Yuka Kusama
神奈川県逗子市出身。フリーランスでマーケティングと執筆の仕事をしている。お蕎麦とアイスと犬が好き。2024年、日記本『すくいあげる日』を個人制作。noteで日記やエッセイを更新中
IG @_yukakuu02
https://note.com/mikemochi3