
連載「クラッシュカレーの旅」#14
日々の鍛錬は足りているの?/福岡・石臼・叩き旅
高く飛ぶためには、長く走らなければならない。
世界陸上の棒高跳び競技を見ていて、そう思った。男子棒高跳びの世界記録は6メートル30センチ。つい先日、スウェーデンのアルマンド・デュプランティス選手が東京世界陸上で達成した。たまたまそのタイミングでテレビの前にいた僕は、見事にしなる棒を眺めながらため息を漏らした。
調べてみると男子棒高跳びに使う棒の長さは一般的に5メートルほど。6メートルを飛ぶためにはその棒を携えたまま40~45メートルほど助走する必要があるらしい。
そこで、ふいに福岡で叩いた石臼のことを思い出したのである。
今年の新刊『クラッシュカレー』の発売を記念して、福岡で料理教室を開催した。あっという間に40人もの参加者が集まり、キャンセル待ちが何人も出る事態。福岡の人は好奇心旺盛なのだろうか? 行動力に満ち溢れているのだろうか? それとも、少々ストレスが溜まっているのだろうか?
石をひたすら叩く行為は、日々のよしなしごとを忘れ、没頭させてくれる。
模範となる叩き方をデモンストレーションしなくてはならない。東京から事前に送っていた自前のアンシラーの石臼は、3つある中で最も大きなサイズ。準備にぬかりはない。
緑のクラッシュカレーを作るべく、緑の香り玉を目指した。
叩き始める前からわかっていたことだが、40人が試食できる量を叩くのは、大変だ。いつも通り、グリーンチリやレモングラス、カー(タイの生姜)などなどを石臼に入れ、カンカンする。当然、4人分を作るのに比べればはるかに時間がかかる。
高く飛ぶために長く走らなければならないように、多く作るためには長く叩かなければならないのだ。
作るカレーのボリュームと調理プロセスとの関係性は考えてみると面白い。
クラッシュカレーの場合、「①…叩く」、「②…炒める」、「③…煮る」の3工程で調理が進む。この中で総量がふえたときに「叩く」のが最も大変である。愚直に手を動かす以外に進める方法はない。石臼のサイズを大きくしたところで、一度の「叩き」で潰せる量を大幅に増やすことはできないからだ。
それに比べて「炒める」のは、鍋のサイズを少し大きくしたり、火加減を強めればうまくいく。さらに「煮る」に至っては、量が少なかろうが多かろうがほとんど関係ない。こちらが手をかけずとも鍋と火が勝手に仕事をしてくれるのだ。
やっぱり石臼を叩く行為に手抜きは許されないのだな。
僕はできることならアルマンド・デュプランティス選手もビックリのスピードで石臼を叩きたかった。とはいえ、臼と杵が出会ったポイントだけで素材を潰れていくのだから、スピードアップするにも限りがある。しかも、料理教室の時間だって限られている。
焦ったつもりはないが、必然的に叩き方はラフになり、不均質に食感を残した香り玉が仕上がった。
ココナッツミルクを煮詰め、香り玉を加えて炒める。水分が飛ぶにつれ、全体的にもろもろとしたペーストの間からココナッツの油分がにじむ。
道の駅で購入した白瓜を投入。鶏肉と一緒に炒め合わせてから煮込む。こぶみかんの葉やタイバジルをどっさりと加えて緑のクラッシュカレーはできあがった。
クラッシュカレーの香り玉は、完全に叩き潰してきれいなペーストを作れば口当たりも味わいもなめらかになるが、ラフなペーストを作っても風味のアクセントが楽しめていい。世界記録を更新せずともおいしく味わえるのがいいところである。
言い訳のつもりはない。本当にその通りなのだが、福岡で撮った写真を見返してみると、「やっぱりもう少し時間をかけて叩きたかったなぁ」という僅かな後悔が顔を覗かせる。
陸上競技と同じく、クラッシュカレーにも日々の鍛錬が必要なのかもしれない。右腕をさすりながら「もう少し筋肉をつけよう」と心に誓った福岡・石臼叩き旅であった。
- AIR SPICE CEO
水野 仁輔 / Jinsuke Mizuno
AIR SPICE代表。1999年にカレーに特化した出張料理集団「東京カリ~番長」を立ち上げて以来、カレー専門の出張料理人として活動。カレーに関する著書は40冊以上。全国各地でライブクッキングを行い、世界各国へ取材旅へ出かけている。カレーの世界にプレーヤーを増やす「カレーの学校」を運営中。2016年春に本格カレーのレシピつきスパイスセットを定期頒布するサービス「AIR SPICE」を開始。 http://www.airspice.jp/