連載「クラッシュカレーの旅」#18

梨と林檎と冬瓜と、ココナッツの罪/東京・目黒区・石臼・叩き旅


Jinsuke MizunoJinsuke Mizuno  / Feb 19, 2026

あの日のカレーに使った食材がなんだったのか、思い出せない。

その日の模様を記録した写真を見返すと、鍋の中には鶏手羽元肉と共に2種類の食材が煮込まれている。梨? はたまた林檎かな。いや、冬瓜のようにも見える。

別の写真を確認するともう一つの鍋には蕪がどっさり。そうそう、イベントは蕪が出始める冬の始まりに開催されたんだった。だとしたら、夏に旬を迎える冬瓜ではないはずだ。

では、白いのが梨? 黄みがかったのが林檎? 梨は秋だもんな。冬なら林檎かな。石臼を使ってクラッシュカレーを作ったのだから、フルーツが入る可能性は高い。どちらもありそうだが、使うならどちらか一方にするはずだ。

まだ1年と少ししか経っていないというのに、当時のことをまるで思い出せない。部分的に記憶を喪失している理由は、当日、僕が抱えたひとつの動揺が原因だった。

都内でクラッシュカレーのワークショップを開催した。

みんなで石臼を叩いて香り玉を作ってカレーにしようという、極めて健康的なイベントである。その証拠に当日一人の小学生がお父さんと一緒に出席したくらいだ。

彼(H君)は、小学校高学年で、最初に僕が知り合ったのは、確かインスタグラムのダイレクトメッセージだった(はず)。母親のアカウントを通してカレーに関する質問があった。小学生だというのに僕のレシピ本を熟読してカレーを作りまくってくれているという。

未来の「カレーの人」が誕生するかもしれない。

僕は丁寧に質問に答えた。そんなタイミングで開催されたイベントに、H君はお父さんと一緒にやってきたのだ。

酔狂なオトナが集まり、石臼を叩いて緑の香り玉を作り、クラッシュカレーを作って食べる。健康的なイベントだとはいえ、あまりにマニアックなこの場に純粋なコドモが一人、混じって参加する。

H君は、1冊のノートを見せてくれた。そこには、作ったカレーの写真と感想が何ページにも渡って細かく記録されていた。自家栽培のほうれん草を使って僕のレシピでカレーを作ってくれたりしている。胸が熱くなった。

ワークショップが始まった。ドライのホールスパイスを叩き、ハーブを叩き、フレッシュスパイスを叩く。

40名分の香り玉を作るから、作業は2台の石臼を使っていくつかに分けて行われた。仕上がったペーストを混ぜ合わせ、巨大な香り玉を作る。

具にする食材も2つの鍋に分けて煮込んだ。調理は順調だ。

H君も興味津々。途中までは楽しそうに見えた。

が、ふとした瞬間にお父さんから聞いた発言で、僕は大いに動揺したのである。

「この子、ココナッツミルクアレルギーなんです」

香り玉を炒めようとする僕の手が止まった。香り玉は、いつものようにココナッツミルクを煮て油分を滲み出させてから炒めるつもりだったのだ。

「えー! あ、そうなんですか。じゃ、H君の分だけココナッツミルクを使わずに作りますね」

そうは言ったものの、心臓の鼓動は高まるばかり。このタイプのクラッシュカレーは、ココナッツミルクがあってこそ完成する設計である。

あったらあったで、ないならないで。

僕のカレー作りのモットーではあるが、こんなに熱心にカレーに興味を示してくれているH君に変化球の産物を提供しなくてはならないなんて。

僕はココナッツを恨んだ。ココナッツはココナッツで動揺しただろう。ココナッツに罪はないからだ。

H君に最良のクラッシュカレーを食べてもらえなかったことが今も心残りとなっている。クラッシュカレーはココナッツミルクと切り離せない部分もある。何か代わりになるカレーを開発して、いつか、どこかで遊びに来てくれたH君に作ってあげたいと思う。

それまで彼がカレーに情熱を傾け続けていてくれたらいいなぁ。

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