料理人・波平龍一の「半年間、蔵人生活」 -2-

手を使う、菌と働く


Ryuichi NamihiraRyuichi Namihira  / Feb 17, 2024

自己紹介と宣誓を兼ねた第一回目を経て、連載第二回目となる今回は、初めてづくしの11月を振り返る内容でお送りしたいと思います。

長い間、心待ちにしていた岡山での蔵人生活は2023年11月1日にスタートしました。蔵仕事の初日が「出麹」という作業から始まったことが、この文章を書いている今、とても印象深く思い出されます。

「出麹」とは、麹を作るための部屋「麹室」から出来上がった麹を搬出するというシンプルな作業を指します。麹室はとても神聖な場所だと思っていたので、いきなり入らせてもらえたことに正直なところ大興奮していました。

それから1ヶ月ほど、実に様々な性質の作業をこなしてきました。
麹室で “室仕事”をする。蒸米を運ぶ。洗米や吸水の補助に入る。などなど…
それらの仕事のほぼ全ては、“米”という一つの素材に向けて行われます。

しかしながらその米、という一つの素材が持つ情報量たるや、それはもう膨大なもので。そこへ”菌”や”温度”、そして”発酵”などの要素が加わり、造りが進むにつれて情報の色合いは複雑に入り混じっていきました。


蒸米の水分量を麹室にて微調整する「枯らし」という作業の一場面。この蒸米を1日のうちに幾度か揉みほぐしたりする際、その手触りを感じとることが重要になる。部屋内の湿度・温度はその手触りをもとに都度設定する。

作業内容自体はシンプルな肉体労働がほとんどです。真冬の勝山はかなり寒いにもかかわらず、汗だくになって働く日も少なくありませんでした。
そんな毎日の中で、ダントツで大活躍した身体の部位が「手」だったなあと感じています。作業内容を考えれば当然のように思えるのですが、ただ物を持ったりするのとは違った使い方への意識が求められました。
それは、感覚器官として捉えた場合の「手」への意識です。

“米”が”米麹”へと変わっていく最中、その変化の多くは自分の手が米に触れることで伝わってきます。その変化を杜氏と共に感じ、作業を進めることが必要でした。

手を使って、無意識ではなく、意識的に情報を取り入れていくという行為。
最初はくすぐったいような、不思議な感触を覚えました。しかし素材に触れていく毎に、これまで自分の中で眠っていた回路が、みるみる開通していくーーそんな感覚を得ました。人間ってすごいなと。
この体験ができただけでも、この仕事に飛び込んだ甲斐があったと思わされるような出来事です。

そしてもう一つ、日本酒造りの全工程において重要な要素として「菌」があります。この菌という存在が、数時間、一日、一週間、様々な時間の単位の中で驚くべき仕事量を担います。「人ではないものが働いている気配が色濃く感じられる」とても特殊な現場だなと感じました。

貯酒タンクの中で元気に発酵する「醪」の様子。醪とは米・米麹・酒母・水を合わせたもののこと。香りと味わい、質感が日毎に変化していく。菌が働いていることがはっきりとわかる光景。

人間にはできない働きですから、単純に人苦に置き換えることは不可能なのですが、一体何人分の仕事をしてくれているんだろう、とありがたい気持ちにさえなります。
そんな「菌と働いている」という実感もまた、蔵に入って初めて得た感覚です。そして、「菌」という生き物と働くには、その言葉にならない言葉を理解する必要が出てきます。
その言葉を、蔵で唯一理解できる存在が「杜氏」です。「杜氏」とは、目指す酒の味わいを常にイメージしながら、これまでの経験と知識を基に、五感を総動員して瞬間的な判断を下す存在。酒造りの現場における、いわば総合監督のような立場です。


御前酒蔵元辻本店の現杜氏、辻麻衣子氏が蒸した米に麹菌を振りかける作業「種切り」を行っている様子。モワモワと舞っているのが麹菌(カビ菌の一種)で、目的に応じて適切な種類・量の麹菌をふりかけることが麹作りの肝となる。

これまでの1ヶ月を振り返ると、「日本酒」ができあがる状態をゴールとした時に、蔵人たちが闇雲に体を動かすのみではそこへ到達できないことがよくわかりました。
杜氏が菌のしてほしいことを汲み取り、蔵人へ伝える。指示を受けた蔵人たちが、それを実現するために身体全体を使って仕事をこなす。自分も蔵人としてそこへ加わったことで、その基本構造を体感を以て、理解することができたと思っています。
単発でなく、一定の期間ものづくりの現場に入ることの意義を強く感じました。

勝山に来てよかった。
1ヶ月経った今、率直にそう思います。
飲食店で働きながら得られる種類の経験ではないことは間違いない。
それと同時に、料理という分野での経験を経た上でここにいるからこそ受け取れたこともたくさんあったので、これまでの経験もちゃんと地続きになっているという手応えがあります。

僕は筋肉とはあまりご縁がない人生を過ごしてきましたので、第一回目でも触れていた通り、肉体的な不安を抱えていましたが、それも結局はなんとかなっています。成せばなる、ですね。

これからまだまだ続いていく蔵人生活。
飲んで、食べて、考えること。そして、身体を大切にすることを忘れずに、ひきつづき励んでいきたいです。

(Edit by Shunpei Narita)
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