電影食堂 〜映画の中の料理考〜 1
料理ができる、その先にあることーー『永い言い訳』
本記事は、「RiCE No.1 Autumn 2016|特集 ごはんの味」(2016年10月26日発行)に掲載されたものを再掲したものです。再掲にあたり一部表現を修正しています。
美味しい映画1『永い言い訳』
名作グルメ映画は多々ある。プロの料理人の素晴らしいテクニックを堪能できるものもある。だが、まったく料理をしたことがない主人公の成長を料理で見せる映画はあまりない。成長のその先を示す映画はさらにない。しかし西川美和監督の『永い言い訳』は、その両方を描いている。
妻が高校時代の親友と旅行しているあいだに愛人を家に連れこむようなダメ男が、妻に旅行先で事故死されるところからはじまる。彼はいまでこそ売れっ子作家だが、駆け出しのころ妻に世話になっていたコンプレックスをいまだに払拭できていない。妻と旅行していた親友も同じ事故で亡くなり、トラック運転手の夫と子ども二人が残された。作家がふとしたきっかけで子どもたちの世話をするようになり、残された人々がゆっくりと教われていく過程が描かれている。主人公の変化がとくに表れるのが料理なのだ。
最初のうち、作家は料理ができない。妻がいなくなった家で、呆然と電子レンジでおでんを温めていて玉子を爆発させてしまうほど、まったくなんにも知らない。事故被害者説明会で出会ったトラック運転手が頻繁に電話してくるが、その電話も無視している。ある日ふいに気が変わってトラック運転手と会う。子どもたちも一緒にビストロに招待する。食べつけない料理とワインで舞い上がっている運転手をよそに、下の子が「なんだかイガイガする」と料理を吐き出し、みるみるうちにアナフィラキシーショックの症状が表れる。子どもは甲殻類のアレルギーで、フランに入っていたかにみそにアレルギーを起こしたとわかる。母親なら持っていたはずの常備薬を、父親は持っていない。作家は料理人を怒鳴りつけるが事態が改善するわけもない。
子どもは病院に運び込まれ、ぽつんと残された上の子と作家は、治療室に入った父子を待つことになる。作家は、仕事のあいだ子どもの世話をすると運転手に申し出る。エゴイスティックな作家の気まぐれのように見える。だが、彼は頑張るのだ。最初は傍らにいるだけという感じだが、子どもの手伝いをするようにして家事を覚える。小学6年生の上の子が炊いたごはんで出来合いのカレーを食べる。世話するというより世話されている。けれど数か月経つと、仕事から帰ってきた運転手に自分でつくった野菜炒めをすすめたりする。はっきり言ってその野菜炒めは、あまりおいしそうには見えない。だがみんな幸せそうに見える。
この映画では、最初のおでんはもちろん、運転手が相好を崩すビストロの料理だって、おいしそうには撮られていない。どちらがいい料理とはいえないと示しているかのようだ。フランも野菜炒めもどちらが上でも下でもない、その撮り方がおそろしく料理の本質をついている。そもそもおいしさとは個人の感覚であり、そのときの状況や人間関係で味なんか変わってしまうということを。評判のシェフの料理に感動できないときもあれば、野菜炒めがごちそうになることもある。味わわれるものは皿の上の料理だけじゃないのだ。
そして、野菜炒めができたことがゴールじゃないといわんばかりに、さらなる展開が待っている。野菜炒めが料理として難易度が低いということではなくて、料理ができたらすべての問題が解決できるかといえばそうはいかないということ。料理は子どもを見なくてはならない作家がやるべきこととして、子どもの世話の延長線上にあるだけだ。料理ができることは生活者として一段階成長することだけれど、その先に主人公たちがクリアしなくてはいけない問題は残されている。
だからこそ、料理ができるようになった彼のその先が描かれなくてはならなかった。子どもに食べさせるものを用意できる、地に足がついた男となった作家は、しかしずっと子どもたちといることはできない。そもそも彼は家族でもなんでもないのだ。一方、子頃悩ないい父親だが料理はしないトラック運転手もまた、大きな喪失から立ち直れていない。彼の食事はいつもコンビニなどの間に合わせだ。そんなふうにしゃかりきに働いて子どもたちを食べさせている。子どもたちも母親なしに生きることと格闘している。悲しみ、寂しさ、生きづらさーー愛するものを喪うことはこんなにも人を傷つける。
生きることに直結する、食べる/食べさせることーーそこに連なる日々の料理を通して、西川監督は登場人物の変化を私たちに見せる。誰もが変化、成長して、大きな悲しみを受け止めていく。そして、愛するものを喪ってなお、生きつづけることの意味を私たちに示している。
「永い言い訳」(2016/日本)
原作・監督・脚本:西川美和
出演:本木雅弘、竹原ピストル、深津絵里ほか
配給:アスミック・エース
©2016「永い言い訳」製作委員会Blu-ray・DVD発売中
発売・販売元:バンダイナムコフィルムワークス視聴サービス
Amazon Prime
Apple TV
※この他にも配信されている場合があります。また、配信が終了する場合もありますのでご了承ください。
- Film Writer
遠藤 京子 / Kyoko Endo
東京都出身。映画ライター。『EYESCREAM』『RiCE』に寄稿、ガールフイナムにてGIRLS' CINEMA CLUBを連載中
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